2014年12月22日月曜日

冬の巣立ち2

    天気予報の通り、朝から空は不穏で憂鬱な灰色だった。午前中から時折、思い出したようにぽたりぽたりと雫が落ちた。車の後部座席で私は、まばらな雨粒が窓ガラスを汚すのを見ていた。
    引越し業者は使わなかった。10箱の段ボールと姿見と古いラジカセと私と両親を乗せて、車は東京を横断する。首都高を走る途中、脇を通り過ぎた渋谷のヒカリエを見て、みんなで不格好だと言い合った。
    乗用車の前と後ろの席の間には意外と距離がある。1度後ろから声をかけたら、聞こえなかったようで2人は別の話をし続けた。私はむっとしながら、同時に2人で話しているのを見て安堵する。先日読んだ少年アヤちゃんのブログを思い出していた。もうすぐ、あの家からは子どもがいなくなる。


    自宅から新居のマンションまではたったの1時間で、あっけないほどだった。荷物を部屋に運び入れた時には昼を回っていたので、私たちはファミレスへ行った。
「折角だからデザートまで食べちゃおう」と言って、母と二人で妙にはしゃぎながらパフェやパンケーキの載ったページを研究したけれど、ハンバーグだけでお腹がいっぱいになってしまって、結局デザートは頼まなかった。
    会計は父がした。私は「ありがとう」もごちそうさま」も言わなかった。子どもの頃、家族で外食に行ったときそんなことを言ったことはないし、言おうと思ったこともない。この人たちは、私に少しでも長く子どもでいてほしいのだろうなと思ったら、何も言わないほうがいい気がした。
    両親だけでなく誰に対しても、私はこうやって口を噤むことがある。言うべきこととそうでないこと。言うべき人とそうでない人。その区分を見極めようとして、私の反応はいつも鈍る。私はたぶん考えすぎだし、感傷的すぎる。


    段ボールに入っているのは服と本と漫画とCD、後は日用品が少しあるだけだった。家具家電の類はほとんどなかったが、なによりもまずカーテンと照明が必要だった。私たちは最寄りのニトリでカーテンと照明を買い、手分けして取り付けをした。買ってきた踏み台は高さが足りず、カーテンフックをかけるのもひと苦労だった。
    最低限、部屋が人の住める空間になり、3つの電球のうち1つが不良品であることを発見した頃には、外はすっかり暗くなっていた。家には犬がいて、散歩と餌やりをしなければならないから、両親はもう帰らねばならなかった。

    車に乗る2人を見送った後、私は1人で駅へ向かい、周辺をぐるぐる歩き回ってスーパーやドラッグストアの場所を確認した。
    雨は1番激しくなっていて、大粒の雫が足元をうねって流れていく中を、私は2リットルのペットボトルとシャンプーのボトルの入ったビニール袋を傘と一緒に抱えながら歩いた。
    なんだか泣きたいような気がしたし、泣いてもいいような気がしたけれど、やっぱり癪だったので泣かないことにした。
    誰もいない殺風景な部屋に戻って私が最初にしたことは、銀色の古いラジカセでラジオをつけることだった。

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