2016年9月24日土曜日

23時に待ち合わせ

す23時に東京駅で待ち合わせをしたことがある。
相手は年上の男性で、その人とはしばらく前から付き合っているようないないような、あいまいな関係が続いていた。
駅の近くのビルで遅い食事をしてから、私たちは行幸通りを抜け、皇居の周りを歩いた。
完璧に整備された深夜の丸の内は美しく、そして恐ろしく静かだった。空間を切り取って、そこをそっくりそのまま無音にしてしまったかのようだった。時々「本当に静か」と言葉に出して確かめなければ、世界から音がなくなったのではないかと錯覚するほど。

時刻は午前2時になろうとしていた。当然終電は終わっている。タクシーを捕まえ、乗り込みながら連れの男性が「近くにホテルはありますか」と訊いた。運転手はこちらを見もせずに「ラブホテル?」と聞き返した。それまでその男性とそういう行為をしたことはないし、そういう雰囲気になったこともなかったが、そりゃあこんな時間に男女がホテルを探しているのだから、誰にだってそう見えるだろう。そのことが、お腹がいたくなるほど私をナーバスにさせた。
いや、ラブホテルじゃないほうがいいんですけど、と彼は気まずそうに言い、結局私たちは5分ほどいったところにあるビジネスホテルに下ろされた。ラブホテルもビジネスホテルもほとんど入ったことがないので比較はできなかったが、小奇麗でそんなに安くないところのようだった。
ツインベッドルームの部屋に入ったとき、どうしよう、どうしようとぐるぐる回ると進まない思考で頭がいっぱいで、私は口もきけないくらいになっていた。
私はこの人がなにを望んでいるかわかっているし、この人は私のことが好きなのだろうし、私もこの人のことが嫌いなわけではないし、処女でもないし、だけどもう一歩もその人に近づきたくはなかった。その人の欲望とか、感情を見たくないし、触れたくなかった。今からでも、歩いてでも家に帰りたかった。

いつからこうなったのかわからない。私は人から好意を向けられること、その感情が相手に触れたいという欲望に繋がっていくこと、他人に肌に触れられることが耐え難いほど苦痛になっていた。
なぜここに来てしまったんだろう、と思った。23時に待ち合わせしたら、帰れなくなることなんてわかりきっていたのに。この人が期待していることも、自分がそれに応えられないことも知っていたのに。
その人を傷つけたり、恥をかかせたり嫌な気持ちにさせたくなんかなかったけれど、私はもういっぱいいっぱいで、これ以上なにも見たくなくて、「眠いですね、眠い眠い」とわざとらしく繰り返して、布団にもぐりこんでその人に背を向けた。目を閉じたけれど体は緊張で強張っていた。電気を消してしばらくして、その人がこっちのベッドにうつってきて、私の名前を呼んだような気がするけれど、私は答えず、微動だにせず、ただ早く眠ってしまいたかった。
何時間かして朝が来て、窓の外が明るくなっているのを見たとき心底ほっとした。2人で起き出して、その人がホテルの薄っぺらい寝間着から昨日来ていた服に着替えたときもっとほっとして、その人を好きな気持ちが少し戻ってきたのを感じた。
私たちは何事もなくホテルをチェックアウトし、セルフサービスのカフェで朝食を取り、東京駅で別れた。

1人中央線に揺られながら、寝不足のぼんやりした頭の中で、タクシーの運転手が言った「ラブホテル?」という言葉が頭の中で何度も何度も繰り返された。
好きあっている大人の男女はセックスをする、というシステムが私には理解できない。好きだから触りたいという感情のメカニズムがわからない。私は誰にも触りたくないし、触られたくない。
電車の中で携帯電話で、「ノンセクシャル」という言葉を検索した。その単語を調べたのは初めてではなかった。掲示板とか知恵袋がいくつも出てきて、上から1つずつ選んで読んでいくうちに私は泣いていた。私はまともではないのかもしれない、と思った。

いつからこうなってしまったんだろう。少なくとも最初からではなかった。抱きしめられたり、手を繋いだりすることに幸福を覚えていたときも確かにあった。何があったわけでもないのに、そう思える気持ちは年々目減りしていって、今では母親に腕を触られることさえひどく不快だ。その上相手が自分を好きで触れてくるなんて、もう本当に耐えられない。
こんな人間が、誰かと一緒に生きていけるんだろうか。誰かと付き合ったり、ましてや結婚したりすることなんてできるんだろうか。その夜、朝食代以外のすべてはその人が払ってくれていて、私は自分が彼にひどく損をさせてしまったような気がしていた。そんなことを思うのも嫌だった。恐ろしく傲慢だけれど、もう誰も私のことを好きにならないでほしいと何度も何度も思った。

窓の外を流れる景色を眺めながら、一生1人で生きていくことについて考えた。
孤独が、あの真夜中の東京駅のような静寂であったなら、それも可能かもしれない、と思った。

*

この記事を書いたのは3年くらい前なのですが、これを世に出してしまうと私の人生の一つの可能性的なものが決定的に終わってしまう気がして、ずっと公開せず手元に置いていました。
しかし、3年経った今でもこのノンセク的状況は全然変わっておらず、まずこの事実についてオープンにしないと何も変わらないのでは? と考え、公開することにしました。

別にノンセクAセク専門家ではないので悩みを聞いて解決したりはできませんし、ノンセクの認知度を上げようとかセクシャルマイノリティのために! みたいなゴリゴリした活動家的なことには関心がなく、普通にしていれば不都合もないので普通に生活したいというのが本音です。
が、同じようなことを感じていて、この手のことを周囲に説明するのも疲れた、面倒くさい、みたいな人と会って喋って、あわよくば友達になれたらいいなと思っています。

もし話してみたい、気になる、という方がおりましたら声をかけてください。
コメントを下さっても結構ですが、あまり見ないのでツイッターの方が確実です⇒@erio0129

なんとなくずっと寂しくて、わかってくれる人が1人でもいてくれればと願う私のようなあなたがどこかにいることを信じて。

2016年4月8日金曜日

《告知》note始めました。

宣伝です。
新たにnoteというアプリに登録しました。
満島エリオで検索出ます。
https://note.mu/eriomitsushima

noteは文章や写真やら色々投稿することのできるクリエイター向けアプリで、課金機能もあり、作品の販売も可能です。ということで、今後はこちらのブログと内容を連動させるとともに、過去ネットプリントで頒布したエッセイや小説なんかも販売していこうと思います。
よろしければ覗いて見てください〜〜。

2016年4月7日木曜日

モラトリアムダイバー

 高校の終わりくらいから大学生ごろまで「大人になりたい」というのが私の中で大きなテーマだった。
何を決めるにも他人の様子を窺ってしまう優柔不断さだとか、親に養われているくせにいっちょまえに偉そうな口を叩いていることとか、そういう自分のダサさをひっくるめて「子ども」と呼んで厭った。
 自分で自分のことを決められること、自分の力だけで生きてくこと。それが実現できないと何を言っても説得力がないような気がしたし、誰かと対等に渡り合うこともできないような気がした。だから一刻も早く子どもであることを捨てたかったし、子どもであることを止めれば大人になれるんだと思っていた。

 あれから早数年、社会人4年目を迎えた私の周囲は今、最初の結婚ラッシュを迎えている。同年代のそういう話を聞くたび、いやいやちょっと早すぎるんじゃないの? と思ってしまう。
この気持ちは、高校の時に同級生が校則違反の化粧をしているのに気づいた時の気持ちに似ている。そこには二つの感情が混在していて、一つは「校則違反じゃん」で、もう一つは「まだそんなことしなくていいのに」だった。すっぴんで堂々としていられるのなんて今くらいなんだから、化粧なんてしなくてもいいじゃん、という気持ち。
夫婦になったり親になったり、そんなに急いで次のステップへ進まなくてもいいよ。まだ学生のころみたいにみんなで遊ぼうよ。そんな風に構えていたら周りが次から次へと結婚したり、子どもが生まれたりするものだからあっけに取られてしまう。彼らとの心持ちの差に。そこに全く追いつけない自分の幼さに。

前は確かに誰よりも早く大人になりたかったのに、いつからわだかまりたいと思うようになったのだろう。
未成年だからお酒を飲んじゃいけないよ、校則違反だから化粧をしちゃいけないよ。それと同じで、私は自分がまだこの先へ進むことを許されていないような気がしていた。許可が下りるまで今のままでいいのだと思っていた。だけど冷静になってみれば、誰もそんなこと禁じていないし、許可を待つ義務もないのだった。ただ自分で勝手にセーブをかけているだけだった。
そこまでわかっていても、どうやったらそのロックが解除できるのかわからない。重要なアイテムやイベントをスルーしたまま進んでしまって、次のステージに進めずに途方に暮れているRPGの主人公みたいな気分だ。

私はたぶん、この先へ進むことで、今までできていたことが出来なくなってしまうことを恐れている。時間やお金や行動に自由が利かなくなり、掴めたはずのチャンスを失ってしまうことを懸念している。一度そこへ行ってしまったらもう元には戻れないんだろうと、その不可逆性を想像しては尻込みして足踏みをしている。化粧を覚えたせいで、もうすっぴんでは出かけられなくなってしまったみたいに。

無意識に誰かのゴーサインを待ってしまう私は、どうやらまだモラトリアムのまっただなかだ。アイテムを全部取りきるまで、マップを完成させるまで、ここでできることは全部やりきったと言えるまで、当分ここから先へは行けそうにない。

2016年2月15日月曜日

エモいなんて言いたくない

大学時代の友達と後輩と食事をするのに近くまで行ったので、母校の方まで行ってみた。
立春を過ぎたばかりのその日は異常に暖かく、昨日までと同じつもりで選んだ冬のコートを着ていると汗ばむほどだった。
大学に近づくにつれ、景色が次第に見慣れたものになっていく。並んで歩く後輩が「大学生の自分が歩いてきそうな気がする」と言う。その隣で私も、一歩進むごとに時間が巻き戻っていくような錯覚をしていた。
折しも受験期間の真っ最中で、キャンパスの正門には「○○学部入学試験」と書かれた看板が立っていた。春を感じさせる陽気も相まって、こっちまで何かが始まるような、何かが変わるような、そわそわと落ち着かない気分にさせられた。
駅までの道のりを歩きながら私たちは、あの店がなくなってるとか、数年前は毎日ここに来てたのにとか、何を見てもひたすら「エモいエモい」と言い続けた。

大学時代の思い出と言えば勉強そっちのけでのめり込んでいたサークル一択だ。誇張でなく 1週間のうち5 日も 6日も集まっては顔を突き合わせてぐるぐると話し合ったり、馬鹿みたいに飲んで終電を逃したり、付き合ったり別れたり、いわゆる青春的要素がぎっしりと濃縮されていて、我ながら恵まれた充実した 4年間だった。
その日々が余りにも満たされていて、だからこそここへ来るたびに平衡感覚が失われるような、覚束ないような気持ちになる。今も鮮明に思い出せる学生時代の記憶と、それがもう過去のことで、もうここは自分の居場所ではないのだということがうまくかみ合わずに感覚を狂わせる。

これから先の人生で、あの頃のような密度の日が訪れることはあるのだろうか。
熱意だけを燃料にして、みんなで 1つのものに向かって突き進んでいたあの気持ちを、もう一度味わうことはできるのだろうか。
それともあれは、子どもである間だけ許された時間だったのか。もしそうなら、私はこの場所を訪れるたびに、思い出の眩しさに目を顰めながら「エモい」と言うことしかできないのだろうか。

「一人暮らしここでしなよ」
「絶対住みやすいよね」
 横で後輩たちが話している。若い人が多くて、活気があって治安もよくて便利で、そりゃあ間違いなく暮らしやすいだろう。でも、私は住めない。こんな、懐かしさに呑みこまれて前が見えなくなってしまいそうな街に、少なくとも今は。

口ではエモいを連発しながら、本当はこんなこと言いたくないのだ。過去の栄光に縋るような真似はしたくない。自分のピークがもう終わってしまっているなんて思いたくない。
今の方がいいと、これから先の未来の方がもっとよくなると、そう確信できるときまで、まだこの場所には帰れない。

2016年1月29日金曜日

25歳の葬祭

25歳になったら死のうと思っていた。

私は新卒で入った金融系の会社に就職し、その仕事はやりたいこととはかすりもしない世界だった。残業が多くないことが救いで、だから入社当初は空いた時間に何か書いたり投稿したりしようと考えていた。山崎ナオコーラだって会社員やりながら小説書いてたんだし、社会人経験があった方が小説のネタになるし、これはこれで悪くないかもしれない。

でも結局、私はほとんど何も書かなかった。パソコンも開かなかったし、本さえ碌に読まなかった。会社では何も考えず黙々と仕事をし、休日はいつまでも布団の上に寝転んでスマホを弄っていた。日々はティッシュのように使い捨てられ、無価値だった。
 そうやって楽で楽しいことにだけ身を委ねているはずなのに、いつもどこか据わりの悪さが消えなかった。仕事をしていても食事をしていても誰かと会っているときも、こんなことしてていいの? ほかにやることがあるんじゃないの? という声が亡霊のように付き纏って、心が安まることがほとんどなかった。逃げてばかりの怠惰な自分に対する罪悪感が絶え間なく積もり続け、息苦しかった。
この先一生こんな思いを抱えながら生きるのだろうか。あと20年も30年も、このまま、この場所で?
ぞっとした。目眩がした。それは、あまりにも簡単に手の届く絶望だった。
――25歳まで頑張ろう。それで人生が変えられなかった死のう。
その考えが浮かんだとき、ものすごく気が楽になったのを覚えている。
そうだ。駄目だったら全部捨てて逃げてもいいことにしよう。
私は疲れていたのだと思う。もう綿矢りさにも朝井リョウにもなれない自分と向き合い続けることに。

しかしどうやって死ぬかなあ。飛び降りも首吊りも痛そうだし、手首切るのは成功率低いらしいし怖い。私は小説のちょっと暴力的な描写を読んで貧血になるくらいグロ耐性がない。うーん困った。死ぬのも簡単じゃないな。
少し頭が冷えた。
よし。死ななくてもいい道を考えよう。物書きになれなかったら、出版社や編集職に転職して、せめてそっちの業界に潜り込もう。
それに、25まではあと2年ある。小説を2本でも3本でも書いてとにかく投稿しよう。

結果から言えば、小説は1作も完成しなかった。私は相も変わらず、スマホと布団を一番の相棒にぐだぐだ過ごしていた。そうして24に差し掛かるころようやくはっとした。やばい、あと1年しかない。
自分の意志の弱さを痛感した私は、形から入ることにした。誘惑を遠ざけるため、実家を出ることにしたのだ。新しい住処はテレビも話し相手もいない1K。賞を取りたいとかいう大きくて漠然とした目標も一度取り下げ、もっと具体的なことから段階を踏んでいくことにした。
本を年50冊読むこと。ブログを月2回書くこと。それをSNSで公開すること。手近なところからやってみたら、芋づる式にアイデアが浮かぶようになった。
ブログをまとめてフリーペーパーを作る。文学フリマに出店する。月一でネットプリントを発行する。あれこれやっているうちに知り合いが増えたり、長らく会っていなかった知人から連絡が来たりとなんとなく人脈も広がって、いい流れが来ているのを身を持って体感した。
そして夏。勢いに乗って私はついに、フリーライターの肩書で名刺を作った。資格が要るわけでもなし、こんなん名乗ったもん勝ちだ。

出来立ての名刺を手にほくほくしながら、でも浮かれた気持ちは長く続かなかった。
ライターを自称したところで、私の日常は変わらない。うだつの上がらぬ仕事に時間の大半を割かれる日々だ。短くたって1日8時間の週5日。やりがいを見いだせないことにそんなに時間を割いていていいのだろうか?
折しも部内移動があり、私は社内のコールセンターのオペレーターをしていた。それは外部電話を受けては担当部署に繋ぐという、工場のライン並みに機械的で没個性的な業務だった。誰かがやらねばならない業務があるのは知っている。でも、それを自分が引き受けなければならないことに私はそろそろ我慢ならなくなっていた。「仕事なんだからつまらなくて当たり前」「誰かがやらなきゃいけないんだから」という言葉に、いい私は加減うんざりしていた。
それがどれだけ我儘な言い分だろうとも、私は自分のやりたいことにしか時間を割きたくない。これ以上今の会社に居続けるのは無理だ。
それが結論ならもう迷うことはない。私は転職することにした。リミットはもちろん、25歳だ。

けれど、編集職一本に絞った転職活動は芳しくなかった。そもそも募集が圧倒的に少ない。しかもそのほとんどが経験者採用だ。私はとにかく未経験で応募できる会社に片っ端から履歴書を送ったが、悉く不採用で面接にさえ進むことができなかった。
11月の精神状態は最悪だった。辞めると決めた会社はもう全部が嫌で、でも他はどこも自分を必要としてくれなくて、そしたらここにずっといるしかないのかと思ったら、23歳の時に感じたのよりもっと強い無力感に苛まれた。
ずっとこうやってくしかないのかな。何にもなれないまま25歳になったら、最初のルール通り死のう。
――いや、死にたくない。
 打てば響くように強くそう思った。だって、まだやりたいことも書きたいことも作りたいものもいっぱいあるのに、まだ死ねない。
 25歳になったら死ななきゃ。でも死にたくない。どうしよう。
 自分で勝手に決めたルールに自分で追い詰められながら、もがきながら転職活動を続けた。

「わかりました。それじゃあ、ぜひうちの会社に入っていただきたいのですが」
 最終面接の最後に、社長が言った。1社だけ、選考が進んでいたネット漫画の会社だった。私は呆けたようになりながら、よろしくお願いしますと頭を下げた。こうして私は転職することになった。
 1月の末、私は25歳になる。2月1日から編集者として働く。人生って、なんだかんだうまくできている。
内定が出たとき、喜びや達成感ももちろんあったけれど、それよりも私の心を占めていたのは安堵だった。
 よかった、これで約束を破らずに済む。
 そうか。私はずっと、自分を許す方法を探してきたのだ。
 
これから先どうなるかまだわからない。仕事はたぶんこれまでよりずっと大変になるし、給料だって下がる。新しい会社で望んでいたようなことができるとも限らない。でも不安はほとんどない。なぜならまた私は性懲りもなく、本当につらくて苦しかったら死のうと思っているからだ。平気へーき、いざとなったら死ぬから。あとはできるところまでやるだけ。
人が時に、あっけないほど簡単に死んでしまうことを知っている。でもそれと同じくらいの確かさで、簡単には死ねないことも知っている。
苦しかったら死のう、と思うたびに、私の中から「死にたくない!」という声がする。だって、まだやりたいことが山ほどあるから。
この声が聞こえる限り大丈夫。
私の葬祭の日はまだまだ来ない。


2016年1月4日月曜日

2015年読書総括

2015年に読んだ本リストと感想をまとめる。

1月>
6日『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦
18日『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子
31日『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』田口ランディ ☆

2月>
3日『TUGUMI』吉本ばなな
18日『風に舞いあがるビニールシート』森絵都
28日『美しいアナベル・リイ』大江健三郎

3月>
3日『想像ラジオ』いとうせいこう

4月>
2日『午後の曳航』三島由紀夫
6日『天国旅行』三浦しをん
15日『落下する夕方』江國香織
21日『まほろ駅前多田便利軒』三浦しをん

5月>
8日『女子をこじらせて』雨宮まみ ☆
23日『僕のなかの壊れていない部分』白石一文

6月>
1日『私の男』桜庭一樹
7日『グランド・フィナーレ』阿部和重
10日『ニキの屈辱』山崎ナオコーラ
16日『東京DOLL』石田衣良
23日『きいろいゾウ』西加奈子
29日『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美

7月>
7日『ほかならぬ人へ』白石一文
21日『塗仏の宴 宴の支度』京極夏彦
31日『塗仏の宴 宴の始末』京極夏彦

8月>
8日『有頂天家族』森見登美彦
11日『六番目の小夜子』恩田陸
18日『ロミオとロミオは永遠に 上』恩田陸
19日『ロミオとロミオは永遠に 下』恩田陸

9月>
18日『プラネタリウムのふたご』いしいしんじ
24日『愛に乱暴』吉田修一
26日『ラッフルズホテル』村上龍
29日『彼女は存在しない』浦賀和宏
30日『ユリイカ 9月号』 ☆

10月>
4日『ぼくの人生案内』田村隆一 ☆
11日『いなくなれ、群青』河野裕
17日『ホテルローヤル』桜木紫乃
20日『ユリコゴロ』沼田まほかる
26日『蝶々の纏足・風葬の教室』山田詠美
31日『アムリタ 上』吉本ばなな

11月>
5日『アムリタ 下』吉本ばなな
10日『九月が永遠に続けば』沼田まほかる
22日『アンテナ』田口ランディ
28日『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午
30日『仕事文脈 vol.7』 ☆

12月>
2日 『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』森見登美彦 ☆
11日 『美人画報ハイパー』安野モヨコ ☆
12日 『悼む人 上』天童荒太
20日 『悼む人 下』天童荒太
30日 『そして生活はつづく』星野源 ☆
31日 『お酒とつまみと友達と』こぐれひでこ ☆

48冊。

[傾向]
 今年はエッセイや雑誌など、小説以外のものを意識的に読むようにした。(☆のついているもの。計9冊)。食わず嫌いで、今まで小説以外の読み物はまったくと言っていいほど読んでこなかったのだが、もっと幅広い文章に触れる必要があると感じ今年は機会があれば読むようにした。
 結果、これはこれで読みやすいし、面白いなと思った。小説はどんなにうまく書いても辻褄合わせや盛り上がりなど演出される。始まりと終わりも絶対に必要になる。それこそが小説で、それはそれでいいのだけど、それに慣れた上でエッセイなんかを読むとその自由さに目が覚まされる。
小説というのは世界を一から作って、こういう世界ですよと全体像を示した上でそれをうまいこと丸く完結させなければいけない。でもエッセイは切り取った一部だけでいい。昨日まで生きてきて、本が出た後も生きている人の書くものだから、全体像を見せることなんてそもそもできないし、見せる必要もない。それでいて、書かれていない部分や、これから先の未来がまだまだ続いていくことを感じることができる。大げさだけど、その見えない部分の広がりみたいなものが自由で、向こう側に書き手の存在を感じることができて、こういう文章もいいなあと思った。

[作家・作品]
全体としては今年も趣味に偏ったエントリーだけど、作品としては「有名だけど読んでなかった本」を読むようにしていた。例えば芥川賞の『グランド・フィナーレ』(前読んでたのを忘れて買ってしまった)、直木賞の『私の男』『TUGUMI』『風に舞いあがるビニールシート』『ホテルローヤル』『ほかならぬ人へ』、じわじわと話題になった『想像ラジオ』、名作と名高い『悼む人』。ミーハーっぽいが、有名どころを押さえずして大口は叩けないと思い、ブックオフで100円と見るやせっせと買って読んだ。
作家の開拓もするようにして、今年は西加奈子、白石一文、沼田まほかるに初めて手を出した。
白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』、沼田まほかるの『ユリコゴコロ』はかなりよかった。白石一文は村上春樹に毒と棘を混ぜ込んだような感じ。『ユリゴコロ』は純愛ホラーという新しさがあって面白かった。いい作家を見つけた、と思ったのだけど、勢いに乗って読んだ白石の『ほかならぬ人へ』とまほかるの『九月が永遠に続けば』はぱっとしなくて、二人とも何作も読むにはちょっとくどい印象。
それから、ミステリーが好きなので『彼女は存在しない』『葉桜の季節に君を想うということ』を読んでみたけど、これはどちらも叙述トリックを使った作品だが、見破られないことを重視しすぎて突っ込みどころが多く文章も稚拙で、小説としての出来としてはイマイチだなあ。ここ数年、ミステリーを読んではがっかりしている。トリックと文章のレベルが両立した作品が読みたい。
結局、三浦しをんや森見登美彦、田口ランディ、山田詠美にいしいしんじなど、個人的に高打率の作家が今年も多く登板した。

MVP
 読んでてすごく良かった作品を挙げる。
・エンタメ部門
『まほろ駅前多田便利軒』三浦しをん
 三浦しをんは本当に安定している。安心して読める。「愛すべきキャラクター」という、口で言うはたやすいが生み出すのは難しいものを見事に描き出すことのできる人だ。そしてこの本は特に、作者が楽しんで書いているのが伝わってきて、読んでいるだけで楽しくなる。

『塗仏の宴』京極夏彦
 この作品は特に、京極夏彦の中二病が爆発している。しかも長すぎる。でも面白い!ここまで作りこんでくれれば、あら探ししてイライラすることもなく安心して読み、盛り上がることができる。作り物だとわかっていてもやっぱりわくわくしてしまうディズニーランドのアトラクションと同じだ。趣味に偏っていることは重々承知だが、読んでいる間中「一生中2じゃだめかしら?」という西炯子エッセイが頭から離れなかった(読んでないけど)。

・いまさらそれかよ部門
TUGUMI』吉本ばなな
 本当に今さらかよという感じだけど、つぐみのキャラクターがとてもよかった。彼女のキャラクターのおかげで、日常なのにファンタジーのような盛り上がりと、一方で熱っぽさみたいなものも感じられて読後感がとてもいい作品だった。人が死なないのもよい。

『落下する夕方』江國香織
 江國香織は大概読んでるのだけど、なぜか手を出していなかった。
 人が意識的に「生きる」ことを決意する物語なのだと思う。そういう意味では構造が『ノルウェイの森』に似ている。文章の美しさによってやるせなさと力強さみたいなものが引き立てられている感じがした。

・文句なし部門
『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦
 素晴らしかった。素晴らしかった。書評は以前書いているので割愛するが、一番の良作が年の頭に来てしまった感じ。
 森見登美彦はかなり読んできたけれど、ひねくれた京都の大学生を主人公にしているイメージが強かったので印象が変わった。「僕」がけなげで「お姉さん」が素敵で、一つ一つのエピソードがこんぺいとうのようにかわいくきれいで、ラストの切なさまで含めて隅から隅まで味わってどっぷり浸かりたい物語。

『想像ラジオ』いとうせいこう
 流行っていたから手に取った。311の震災をテーマにしていることも、読み始めるまで知らなかった。

 死んでしまった人について、死後の世界について、我々は想像することしかできない。でも、想像することで救われること、安らかに思えることが確かにある。これは死んでしまった人と、いつか必ず死んでしまう人、すべての人に宛てたメッセージなのだと思う。

[まとめ]
 2015年は年50冊読むことが目標だったが、あと一歩及ばなかったので今年は達成したい。

2015年12月7日月曜日

淵を渡る人

色々考えた末、転職することにした。
とりあえずと転職エージェントの面談のために、東京駅の丸ビルへ行った。
お昼どきだったので小綺麗な格好のOLが、小さなトートバッグを持って歩いているのを何人も見かけた。財布と携帯とポーチだけが入る、昼休み用のあれだ。丸の内OLもあれを持ってランチに行くんだなと少し意外な気持ちで見ていた。全身の中でそのバッグだけが妙に安っぽくて、滑稽だった。

面談が終わりスターバックスで履歴書を一枚書いたあと、それをkitteで出すついでにせっかくだからと屋上庭園に上がってみた。夕闇迫るなか、赤れんがの東京駅が真ん中に据えられ、きっちり区画整理されてそびえる高層ビル群がそれを見下ろしている。まるで成功の象徴そのものであるかのように、その景色は広がっていた。
駅舎を挟んで八重洲口の方にあるビルのガラス張りの壁面の内側を、何基かのエレベーターが上ったり下ったりしているのが見えた。以前都心のホテルかどこかで家族で食事をしたとき、同じように高層エレベーターに乗った父が「こういうところで毎日働いていたら、自分が特別な人間だと勘違いするだろうね」と言ったのを思い出した。確かに、とすごく納得したのを思ったのを覚えている。この街並みを毎日ハイヒールを鳴らしながら歩いていたら、選民思想の一つや二つ芽生えるだろう。

屋上の端まで行って見上げると、電気がついているオフィスの中の様子がよく見えた。そこには普通にデスクがあり、プリンターがあり、天井に貼りついた照明や空調があった。巨大なビルの中で、それはミニチュアのように小さくて、あっけなかった。どこにいても、誰であっても、人が一人分の大きさしかないしかないことは変わらないのだ。
急に、すべてがむなしいような気がした。きっと、私がどこで働いていようが、何を着て誰と一緒にいようがそんなことどうだっていいことなのだ。なにもかもあまりも些末事だ。でも、だとしたら、確かなものなんかもうこの世になんにもないんじゃないか。

私は屋内に戻り、下りエスカレーターに乗った。それぞれのフロアには雑貨や本や服のテナントが入っていて、途中で一度降りて、ぐるりと回ってみた。
ディスプレイされた商品はどれもこれもみな洗練されていて、最先端で、これを生活に取り入れたらワンランク上の自分になれそうだった。その一方で、こんなものになんの意味があるんだろうという気持ちが湧きだして拭えない。
高級な石鹸や、アロマオイルや、間接照明や、用途を細かく分けられた食器、そういうものが気持ちに灯をともすことがあると知っている。たまに背伸びした買い物をしては、それを燃料のように燃やして前に進むエネルギーを得ることが生き延びる知恵なのだと知っている。だけど、それは私という人間の本質を変えてはくれない。外側を取り繕っても自分自身がランクアップするわけじゃない。だから、そんなのは嘘っぱちじゃないかとどこかで思っている。
私は本当のことが欲しい。本当のことだけが欲しい。例えば、百均の皿でだって飯は食える、というような、シンプルな事実だけを積み上げて生きていきたい。
だけどもしかして、本当も嘘も間違いもないのかもしれない。ただ一人分の幅で生きて、一人分の幅で死んでいくのだということ以外は。

まばゆいディスプレイに囲まれながら、自分がなにが好きで、なにに憧れていて、なにが欲しいのか、そういうことが全部ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたみたいにわからなくなってしまった。しっかり握りしめていたはずの目標や芯みたいなものが溶け流れてしまって、迷子みたいな気分だった。
むなしい、と思った。人ひとり、私ひとりの人生なんてあまりにもどうでもよすぎて。

帰り道、メトロの中で窓の外の灰色のコンクリートを見ながら、渡りきれるだろうか、と考えた。
きっと死ぬまで付きまとうこのむなしさを、夢の中の海を泳ぐみたいに最後まで渡りきることが。
そうしてむなしさを越えた場所にあるなにかを、一つでも掴むことができるだろうか。
私は今日も探している。