2014年12月31日水曜日

2014年読書総括

今年読んだ本をまとめ、独断と偏見により感想を述べ、2014年の読書活動を総括するものである。

<2月>
1日『マアジナル』田口ランディ
9日『キッチン』吉本ばなな
18日『月魚』三浦しをん
23日『塩の街』有川浩

<3月>
28日『イナイ×イナイ』森博嗣
31日『舟を編む』三浦しをん
日付不明『太陽の塔』森見登美彦
    『阪急電車』有川浩
<4月>
日付不明『重力ピエロ』伊坂幸太郎

<5月>
なし

<6月>
12日『サマーサイダー』壁井ユカコ

<7月>
15日『白いへび眠る島』三浦しをん
16日『グミ・チョコレート・パイン グミ編』大槻ケンヂ
22日『憑物語』西尾維新
25日『消失グラデーション』長沢樹

<8月>
27日『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ

<9月>
2日『かわいそうだね?』綿矢りさ
17日『花のレクイエム』辻邦生

<10月>
1日『晴天の迷いクジラ』窪美澄
6日『横道世之介』吉田修一
14日『パークライフ』吉田修一
29日『四季 春』森博嗣
30日『世界クッキー』川上未映子

<11月>
4日『深い河 ディープリバー』遠藤周作

<12月>
16日『半島を出よ 上』村上龍
23日『さよなら渓谷』吉田修一

以上25冊

上記についていくつかピックアップし、テーマ毎に分けて感想を述べる。

[最近の作家]
今年は今まで読まずにいた作家の本を読むよう心がけ、若手作家の本をいくつか読んだ。感想としては一言「最近の作家ってこんなもんでいいんだ」。
物語としてはまとまっているし、当然1つの作品として仕上がっているけれど、点数をつけるなら10点満点で6〜7点、欠けた3点には迫力とか独創性とか熱意とかが含まれていて、彼らの作品を読んでも、それなりに上手だなとは思ってもエネルギーは感じられなかった。
私はよく文章を布に例えるのだけど、いい文章というのはなめらかで手触りが一定している。メッセージ性が高ければそこに緻密な模様が浮かび上がる。という感じなのだけど、以下に挙げる作品は読んでいて引っ掛かりが多く、一応布ではあるけれど売り物のレベルではないと感じた。

・有川浩『塩の街』『阪急電車』
ラノベ上がりだなーって感じ。エンタメ性は持っているし映像との相性がいいのは分かるが、文章はあんまり上手くない。心理描写も表面的で漫画のキャラみたい、薄っぺらくて全然共感できない。『塩の街』での主人公の男が塩の柱に突っ込むシーンをまるまる書かなかったことが私には逃げにしか見えない。

・朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』
年が近くてすばる新人賞取ってて嫉妬に焼き殺されそうで手に取れなかったけど勇気を出して読んだ。感想、微妙。何がこんなに評価されてるのかわからなかったし桐島が部活辞めたことあんまり関係なくない?  女子の心理描写とか、男が頑張って想像したんだろうなという印象。時折いいフレーズはあるけれど、前後の文から浮いてしまって下手くそなパッチワークみたい。

・長沢樹『消失グラデーション』
参考:白河三兎『プールの底に眠る』
白河三兎を読んだのは昨年だけど同じ感想を抱いたのでまとめる。
村上春樹リスペクト、ただし全く及ばない。村上春樹のすごいところはあの文章で長編を書ききれる根気と集中力にあると思うのだが、簡単に真似できるものじゃない。中途半端に手を出して完全に火傷している。2つともミステリーなのだが、文章の拙さが目についてストーリーが入ってこない。

[複数読んだ作家]
私の読書は非常に偏っており、ついつい同じ作家ばかり読んでしまうのだけど、例によって今年も偏食気味である。

・三浦しをん『月魚』『舟を編む』『白いへび眠る島』
上期は三浦しをん。比較的最近の作家の中で許せる人。8〜9点はいつも出せる。文章に安定感があるので安心して読める。『舟を編む』文学としても深みは今ひとつかなと思ったが、登場人物が生き生きしていてよかった。彼女もラノベ上がり、BLもやっていたとのことでちょいちょい滲み出ているというか、もはや『月魚』は趣味全開という感じだったけど普通に萌えたので許す。

・吉田修一『横道世之介』『パークライフ』『さよなら渓谷』
下期は吉田修一。初めて読んだのは2006年に朝日新聞で『悪人』が連載されていた時のこと。『あの人は悪人やったんですよね? その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねえ? そうなんですよね?』というラスト数文の畳み掛けるような言葉の連なりが心に残っている。
で、そこから1作も読まずに今年である。『横道世之介』はヘヴィめだった『悪人』とは雰囲気が変わり、麻のようにさらりと爽やかな作品だった。「一風変わった主人公」を描くことはあらゆる作品で挑戦されているが、奇をてらい過ぎていたりキャラを生かせていなかったり結構難しいと思うのだが、世之介という青年は実に自然体に描かれていて、読み終わりには好きになっていること必至。
『パークライフ』『さよなら渓谷』と続けて読んだが、作品ごとにがらりとカラーが変わる。非常に器用で多才な作家。

・森博嗣『イナイ×イナイ』『四季 春』
森博嗣Fシリーズ、ずっと読もうと思っていて去年ようやく手に取った。噂に違わず面白かったが、西之園萌絵がどうにも嫌いだったので寄り道がてら違うシリーズに手を出してみた。森博嗣はどっかで『作家なんて世界で1番簡単になれる』とかほざいていたが、その割に設定がいちいち厨二っぽかったりしてなんか微笑ましい。ミステリーとして完成されていてエンタメ作品として◎。

[MVP]
今年読んだ作品の中から個人的MVPを決める。2作選出。
・田口ランディ『マアジナル』
田口ランディ、めっちゃ面白いのに周りで読んでる人を見たことがないので普及したい。
『オカルト』『コンセント』読了済。彼女の小説はオカルト現象を扱い性描写も露骨なので取っつきにくいけれど、描き出されているのは生きること、人との関わりなど身近なテーマだ。ツイッターでフォローしているけれど、本人もとても丁寧に生活している人物。地に足をつけているからこそ、UFOだのイタコだの出てきても単なるSFではなく私自身の物語としてメッセージを伝えることができるのだと思う。『マアジナル』は他2作よりエグさが少ないので入り口として読みやすいと思う。

・綿矢りさ『かわいそうだね?』
やはり、綿矢りさは、天才です。
理性的な主人公があれこれと自分に言い聞かせて無理矢理納得させる長い長い前半の溜め、からの最後の突き抜けるような感情の爆発の表現を本当にお見事。多重人格なんかじゃなくとも人は様々な面を持っていて、それを社会に適合できるように飼い慣らしている。だけど荒ぶる感情は死んだわけじゃなくて、抑えれば抑えるほどに増大して表出の瞬間を虎視眈々と狙っている。そういう、たぶん誰しも持っているエネルギーの塊みたいなものを豪快に爆発させてくれた爽快な作品。全然関係ないけどご結婚おめでとうございます。もう30歳かー。

以上。来年は今年より多くの本を読むことが目標です。

2014年12月22日月曜日

冬の巣立ち2

    天気予報の通り、朝から空は不穏で憂鬱な灰色だった。午前中から時折、思い出したようにぽたりぽたりと雫が落ちた。車の後部座席で私は、まばらな雨粒が窓ガラスを汚すのを見ていた。
    引越し業者は使わなかった。10箱の段ボールと姿見と古いラジカセと私と両親を乗せて、車は東京を横断する。首都高を走る途中、脇を通り過ぎた渋谷のヒカリエを見て、みんなで不格好だと言い合った。
    乗用車の前と後ろの席の間には意外と距離がある。1度後ろから声をかけたら、聞こえなかったようで2人は別の話をし続けた。私はむっとしながら、同時に2人で話しているのを見て安堵する。先日読んだ少年アヤちゃんのブログを思い出していた。もうすぐ、あの家からは子どもがいなくなる。


    自宅から新居のマンションまではたったの1時間で、あっけないほどだった。荷物を部屋に運び入れた時には昼を回っていたので、私たちはファミレスへ行った。
「折角だからデザートまで食べちゃおう」と言って、母と二人で妙にはしゃぎながらパフェやパンケーキの載ったページを研究したけれど、ハンバーグだけでお腹がいっぱいになってしまって、結局デザートは頼まなかった。
    会計は父がした。私は「ありがとう」もごちそうさま」も言わなかった。子どもの頃、家族で外食に行ったときそんなことを言ったことはないし、言おうと思ったこともない。この人たちは、私に少しでも長く子どもでいてほしいのだろうなと思ったら、何も言わないほうがいい気がした。
    両親だけでなく誰に対しても、私はこうやって口を噤むことがある。言うべきこととそうでないこと。言うべき人とそうでない人。その区分を見極めようとして、私の反応はいつも鈍る。私はたぶん考えすぎだし、感傷的すぎる。


    段ボールに入っているのは服と本と漫画とCD、後は日用品が少しあるだけだった。家具家電の類はほとんどなかったが、なによりもまずカーテンと照明が必要だった。私たちは最寄りのニトリでカーテンと照明を買い、手分けして取り付けをした。買ってきた踏み台は高さが足りず、カーテンフックをかけるのもひと苦労だった。
    最低限、部屋が人の住める空間になり、3つの電球のうち1つが不良品であることを発見した頃には、外はすっかり暗くなっていた。家には犬がいて、散歩と餌やりをしなければならないから、両親はもう帰らねばならなかった。

    車に乗る2人を見送った後、私は1人で駅へ向かい、周辺をぐるぐる歩き回ってスーパーやドラッグストアの場所を確認した。
    雨は1番激しくなっていて、大粒の雫が足元をうねって流れていく中を、私は2リットルのペットボトルとシャンプーのボトルの入ったビニール袋を傘と一緒に抱えながら歩いた。
    なんだか泣きたいような気がしたし、泣いてもいいような気がしたけれど、やっぱり癪だったので泣かないことにした。
    誰もいない殺風景な部屋に戻って私が最初にしたことは、銀色の古いラジカセでラジオをつけることだった。

2014年12月15日月曜日

冬の巣立ち

引っ越し用の段ボールをもらいに近所のスーパーマーケットへ行った。
投票の帰り、揚々と自転車をスーパーまで走らせ、店員のおっちゃんに「引っ越しに使うんですよー」などと言いながら、段ボールを頂く許可をもらう。店の裏手へまわり、大きさごとに分けられた段ボールの山から適当なものを5つほど見繕う。そこまで来て、ようやくこの段ボールを運搬する方法について何も考えていなかったことに気づく。
段ボールというのは、箱型にすればものを運べ、潰せば平べったくなり省スペースという優れものだが、段ボールそのものを大量に運ぶとなると恐ろしく厄介な代物だ。平面にするとかなり大きいし、持つところがない上につるつると滑りやすいし、その上結構重い。実際に5枚重ねてみて、自転車のかごに乗せて押さえておけばいいのでは、という考えの浅はかさに気づく。
スーパーを訪れる客や駐車場を整備する警備員の視線に晒されながら思案した結果、大きめの1つを箱に成形し、その中に残りを無理矢理折り曲げて押し込んだ。値段だけで決めた買い換えたばかりの自転車に荷台がついていたことに初めて感謝しながら、重い紙の箱をそこへ乗せた。


私は背が低い。痩せていて、見るからに力も、体力もない。おまけに怠惰で甘ったれなので、見かねた人が手を貸してくれることがある。あぶなっかしい上に要領悪く見えるのだろう。そうやって助けてもらえることはとても幸運だし、ありがたいことなのだけど、反面、別に1人でもできるのに、と思うことがある。
背の低い人間は、あの手この手で高い所にあるものを取る術を知っている。確かに背の高い人に頼んだ方が早いかもしれないけれど、でも、取れるのだ。仮に取れなかったとしても、別のもので代替して乗り切ることだってできる。だから放っておいてほしいと思う。まるっきり背伸びする子どもの理屈だとわかっているけれど、いつまでも子どもではいられないし、いつも誰かが助けてくれる訳じゃない。むしろ助けてもらえる見込みなんて減っていく一方なのだから、背伸びでもなんでもして、自力で乗り越える術を身につけるしかない。どんなにあぶなっかしく、要領が悪かったとしても。

大人になるということがどういうことなのか、どうすればなれるのか今でもよくわからない。だけど、例えばそれが自分のことを自分でできるということだとしたら、私はまだ大人の入り口にも立てていない。いろんなことができなくて、できないままで許される場所にいる。親に庇護されて今でもただの子どもだ。そのことに、静かに焦燥感が募っていく。早く大人になりたい。思春期の子どものように思う。早く大人になって、1人で生きられるようになりたい。


家に戻る途中、一度バランスを崩して段ボールを全部地面にぶちまけた。自転車に乗ったおばあさんが迷惑そうに通り過ぎる。車が1台、器用に段ボールを避けて走っていく。コンクリートに広がった段ボールを拾い集めながら、私は彼らが「大丈夫?」「手伝おうか?」と言わなかったことにほっとしていた。そりゃ、段ボールを運ぶ怪しい女に声なんかかけるはずないことはわかっているけれど、彼らが助けてくれなかったおかげで、私は自分の失敗の始末を自分でつけた。当たり前だ。当たり前の世界で、これから生きていく。
私はもう一度段ボールを荷台に乗せて歩き出した。

来週、16年間暮らした家を出る。

2014年12月9日火曜日

灯台の座標

大人になったら、化粧なんて完璧にできるんだと思っていた。
アイラインもマスカラもばっちりで、毎日鮮やかな口紅を引いて、髪なんかも巻いちゃって、ハイヒールで颯爽と歩くんだと思っていた。
社会人になった今、私は毎朝家を出る30分前に起きる。化粧なんてチークまで入れていれば上出来といったレベルで、当然髪なんて巻けるはずもなく、子どもの頃思い描いた大人のお姉さんとは程遠い格好で電車に乗っている。
思い返してみれば、大人になんてなるまでもなく髪の毛を巻いている子は毎日きちんと巻いていたし、絶対にすっぴんを晒さない子だっていた。高校の修学旅行の部屋で、みんなより1時間も早く起きて、薄暗い部屋で黙々と化粧をしていたクラスメイトがいたのを覚えている。
幼い頃から、身だしなみを整えることよりも11秒でも長く寝ていたかった。あの時から少しも変わらず怠惰な私が、彼女のような「綺麗なお姉さん」になれるはずがない。


大人になることを「階段をのぼる」などと言うけれど、その表現はどうもしっくりこない。順調にステップアップし続けるなら人はどんどん完璧に近づくはずだし、悩みは減る一方のはずだ。それなのに次から次へと悩みの種は発生するし、欲望にも妬みにも底がない。全然上がってない。それよりも、座標を移動する、と言った方が的確だ。人には座標があって、別の座標に移動するためにはエネルギーが要る。例えば今の私は朝起きられなくて、適当な化粧をする座標に立っている。身だしなみのために早起きできる私になるためにはエネルギーが必要だ。そしてエネルギーとは、努力とか意志だったり、する。


就職活動が始まった時、私は自分が何を仕事にしたいのか、どういう大人になりたいのか、具体的なものがまったくなかった。とりあえず、おしゃれだから広告や出版系を受けてみたり、自慢できそうだからとりあえず名前を知っている大手を受けてみたりしては落ちまくった。狂った方位磁針のようにくるくると方向が定まらなくて、わかりやすいものに飛びついては跳ねつけられた。きちんと化粧をし、髪を巻き、ヒールで颯爽と歩く大人の女性にイメージだけで憧れていたのと同じだ。自分が本当にそうなりたいのかは考えなかった。何が悪いのか、どうすればいいのかわからないまま、プライドだけは一人前で、私は現実逃避するように貪るように眠った。努力はしなかった。
幸運なことに、そんなに悪くない会社に拾ってもらって、それはやりたいこととは程遠かったけれど、やっぱり私は嫌なことは考えたくなくて、そこで就職活動を止めた。仕事のことは働きだしてから考えればいいやと思った。

就活が終わってから、私は友達と文学フリマというイベントに参加することになった。それぞれが文学だと思う物を作品にして売る、ものすごく小規模なコミケみたいなものだ。11つ作品を書いて、それをまとめて本を出すことになった。
私はパソコンを持ち歩き、図書館やカフェや家で、卒論と交互に小説を書いた。書きながら思い出した。幼稚園の時から小説家になりたかったこと。聞かれなかったから答えなかったけど、私の夢はそこから1度も変わっていないこと。本当は思い出したんじゃない。忘れてなんかいない。余りにも遠くて、考えるのがつらいので、私は眠って、それを考えないようにしていただけなのだ。だけどパソコンのフォルダを開いてみれば、途切れながらもいつも文章を書いていた痕跡があった。私の座標は、あの頃から全然動いていなかった。
それがわかったとき、解放されたような気がした。自分が変わっていないことを知るために、それまでの人生を費やしたようだと思った。でもそれでもいいと思った。私はやっと、自分がどこに立っているのかを知ったのだ。夢は相変わらず遠い。以前よりもっと遠いかもしれない。でも、陸の灯台の灯りのように、夜中でも、嵐に荒れた中でも私はその光を見ることができる。どれだけ遠くても、どちらへ向かえばいいかはっきりわかっている。私が迷うことはもうない。



あの修学旅行の日、人がいると眠りの浅くなる私は、ほんのりとカーテン越しに朝日の入る黄土色の室内で、布団に入ったまま化粧をする彼女の後ろ姿をずっと眺めていた。化粧なんてろくにしたことのなかった私には、どうして化粧にそんなに時間がかかるのかわからなかった。今、落ち着いて化粧するときでさえ、彼女ほど時間がかかることはない。それでも私はずっと、彼女の背中から目を離せない。誰に自慢することもなく、認めてもらおうとするでもなく、ただ黙々と自分の目指す座標に向かう姿は美しかったと思う。