2014年3月16日日曜日

吉本ばなな『キッチン』に見るノンセクシャル



『キッチン』では、それぞれ近しい人の死に直面した若いの男女が、寄り添って喪失を乗り越えながら、同時に自分たちの関係性を見つめ、見出していく物語である。
幼い頃に両親を亡くし、祖母と二人暮らししていた主人公・桜井みかげはその祖母を喪う。天涯孤独となった彼女を拾ったのは、祖母の花屋の客で、同じ大学の田辺雄一だった。
元父である母――整形し、性転換した現母のえり子さんと二人で生活する雄一は、みかげに自分たちの家に住むよう勧める。祖母と暮らした一軒家を出たみかげは、勧めに応じて雄一の家で奇妙で温かい共同生活をするようになる――。


『キッチン』には性描写が一切出てこない。傷ついた年頃の男女が一つ屋根の下で暮らす、という格好のシチュエーションでありながら、みかげと雄一が性的な関係を持つことはないし、そういった素振りを匂わすこともない。
『キッチン』の続きである『満月――キッチン2』でえり子さんの死に直面した雄一がみかげに「ずっとここに住めばいいのに」と零す。みかげは問う。

《「二人で住むのは、女として? 友達としてかしら?」》
 雄一は言う。
《「自分でも、わからない。」
「みかげがぼくの人生にとってなんなのか。ぼく自身これからどう変わっていくのか。今までと、なにがどう違うのか。そういうことのすべてがさっぱりわからない。」》

 年頃の男にしては驚くべき淡白さだ。だが、性描写がないからと言って、この作品が少女漫画のように生々しさを排した潔癖のおとぎ話なわけではない。『キッチン』において「食べること」が性行為の代替表現になっているというのは、しばしば指摘されることである。
人体に空いた孔と、そこに何かを入れる/出す行為は全て性的な意味を持ちうるのだと言う。
という書き方をすると、いやセックスは穴に棒を出し入れするんだからそのまんまだろ、という感じだが、いやいや体の孔は膣だけではない。口もあれば鼻も耳も孔があいている。尻の穴もある。排泄行為に伴う快感は性的快感に繋がっているのだそうだ。そして、「食べること」は、口と言う孔を通して体内に異物を取り込む行為だ。
性行為ってのはつまり、自分の内側に異物(他者)を受け入れたり、受け入れてもらったりすることなのだろう。そういう意味では、セックスにだって様々な形がある。
みかげは雄一の家のキッチンで料理を作り、それを雄一に「食べさせる」。彼らは同じものを食べることで、自分の内側に自分以外の存在を受け入れている。そういうやり方で、みかげと雄一は繋がっているのだ。
 だが、そういう関係性が一般的かと言えばもちろんそうではない。みかげにしても雄一にしても、元々愛情の示し方が普通と違うことについては物語の随所でそれとなく示されている。

《「でも、君の好きとか愛とかも、俺にはよくわかんなかったからなあ。」》
《田辺の彼女は一年間つきあっても田辺のことがさっぱりわかんなくていやになったんだって。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。》

 彼らは恋人同士ではないし、血縁のある家族でもない。男女が同じ家で暮らすことが周りからどう見られるか分かっていても、性的接触を持たない二人はその関係性を正しく表現する術がない。
名前のつかない二人の関係を、周囲もまた理解することができない。
人は自分に理解できないものを恐れる。暗闇、永遠、宇宙、死後の世界。解明されていないもの、説明できないものを恐れ、次にはそれを否定したり、批判したり、自分の知っているものに無理矢理当てはめて理解の範疇に置こうとする。
 雄一に恋心を抱く奥野と名乗る女性は、みかげの職場に押しかけてまくしたてる。

《「だって、おかしいと思いませんか。みかげさんは恋人ではないとか言って、平気で部屋に訪ねたり、泊まったり、わがまま放題でしょう。」
「私は田辺くんに気落ちを打ち明けたことがあります。その時、田辺くんは、みかげがなあ……って言いました。恋人なの? って私が聞いたら、いや、って首を傾げて、ちょっと保留にしてくれって言いました。」
「みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって、だから田辺くんはとても中途半端な人になっちゃうんです。」》

 恋人と言う枠に嵌まろうとしない二人を、奥野は感情的に非難する。そんなのは普通じゃない、普通じゃないあなたは間違っていると、彼女は逸脱した存在を認めない。
 一方でえり子さんの経営していたゲイバーの店員・ちかちゃんは、見当違いにみかげの背中を押してくる。

《「あんた、あれは愛じゃない? そうよ、絶対に愛よ。ねえ、あたし、雄ちゃんの泊まってる宿の場所も電話もわかってるからさあ、みかげ、追っかけてってさあ、やっちゃえ!」
「こういう時、女がしてあげられることなんてたったひとつよ」》

 ちかちゃんの頭の中には、愛し合う男女がセックスしない可能性なんてかけらも存在しない。身体を重ねることが、絶対で最強の愛情のツールだと信じて疑わないのだ。
 分からないものは怖い。その「怖いもの」と折り合いをつけるために、人は過剰に否定したり分かったふりをしたする。それは一種の防衛本能のようなものかもしれない。
 けれど、それでは分からないものは一生分からないままだ。


 セクシャルマイノリティの一つに、ノンセクシャルというのがある。
 恋愛感情を持ち、性欲がある場合もあり、しかし他者との性的行為は一切望まない人々を指す。みかげと雄一の関係には、このノンセクシャルに通じるものがある。
 惹かれあう若い男女が一緒に暮らしているのにその間に性的接触が全くないのは、傍からすると不自然だ。だけどノンセクシャル的な視点からすると、愛情の表現にそもそもセックスは必要がない。雄一とみかげを繋ぐものも、そういう形をしているんじゃないか。
『キッチン』がセクシャルマイノリティーをテーマとした社会的小説だなんて言うつもりはない。
 ただ、普通じゃない、理解しがたい種類の愛情がこの世には確かに存在するんだということがこの作品の重要なメッセージになっていることは間違いない。それが『満月』の以下の箇所に集約されている。

《……私と雄一は、時折漆黒の闇の中で細いはしごの高みに登りつめて、一緒に地獄のカマをのぞき込むことがある。目まいがするほどの熱気を顔に受けて、真っ赤に泡立つ火の海が煮えたぎっているのを見つめる。となりにいるのは確かに、この世の誰よりも近い、かけがいのない友達なのに、二人は手をつながない。どんなに心細くても自分の足で立とうとする性質を持つ。でも私は、彼のこうこうと火に照らされた不安な横顔をみて、もしかしたらこれこそが本当のことかもしれない、といつも思う。》


 自宅のある東京から遠く離れた地でものすごくおいしいカツ丼に出会ったみかげは、夜中にタクシーを飛ばしてそれを雄一の元へ届ける。そうやって、やっぱり二人は同じものを「食べ」、そのおいしさを、時間を空間を共有する。
物語の終わり、二人は東京で再会の約束をする。みかげの信じる「本当のこと」は、やっぱり社会から認められないし、受け入れられないだろう。彼らはこれからも否定されたり分かったふりをされたりしながら生きねばならないだろう。だけど二人を、理解されない愛に生きるすべての人々を、えり子さんの言葉が優しくまるごと包むのだ。

《「情緒もめちゃくちゃだし、人間関係にも妙にクールでね、いろいろちゃんとしてないけど……やさしい子にしたくてね、そこだけは必死に育てたの。あの子は、やさしい子なのよ」
「ええ、わかります。」
「あなたもやさしい子ね」》