2014年1月10日金曜日

停滞する女たち

正月に祖父母の家に行く。するといつも思い出したように考えることがある。
未だこの世には厳然と男尊女卑が存在しているということと、それを助長させているのは寧ろ女性の方じゃないかということだ。  
 
祖父は完全なる亭主関白で自分では一切何もしない。自分の方が近くても祖母に醤油を取らせたりする。見ていて楽しい光景ではないが、 でも仕方ないとも思う。それが彼らの時代のスタンダードだったのだから。
私が違和感を覚えるのは、そういう場面で父と兄には何も言わず、 私にだけ手伝いなさいと言う母の方である。私からすると母は私と同時代の人間だ。世代は一つ違うけれど時代感覚は同じ、と、思っていたからこそ、彼女の中に前時代的な感覚が根づいているのを目撃するとたいそう驚いてしまう。
 
いやいやしかし待てよ、考えてみれば母親世代どころか完全なる同世代にも、それを当然のように受け入れている人がいる。 
例えば亭主関白な両親を持ついとこや先輩は、男家族や彼氏に家事をさせない。どころか「家事をさせるのは悪い」とさえ言い出す。同じ年代の人間がそんなことを言っているのを見るとぞっとする。
あえて言葉を選ばずに言うと、奴隷でもないのに他人に隷属することに疑問を持たないなんて気持ち悪い。
 
けれどそれもまた、原因に家庭環境があると明確にわかるからまだいい。私がもっとも恐ろしいのは、男尊女卑思考に従順どころか迎合する姿がすぐ近くに溢れかえっていることだ。  
 
一番わかりやすいのは、飲み会で甲斐甲斐しく料理をよそったり酒をついだりする女たちだ。そういう女を指して「女子力が高い」だの「デキ女」だのというけれど、その延長線上にいるのは「お母さん」である。家にいて家事をしてみんなの世話を焼く、性別役割分業に生きるタイプの女性。そういう者を「イイ女」のモデルにして価値を見出してあまつさえデキ女なんて言ってステータスにしているのは女自身である(もちろん男性視点もあって形成された価値観だけど、女性側が喜んで乗っかっているのは事実)。しかもこれは丁度大学生くらいの、時代を切り拓くべき年代で盛んに見られる現象である。
 
ここまで来ると、昨今の若い女性がキャリアウーマン志向ではなく専業主婦を望む傾向にある、というどっかで聞いた話に納得できる気がする。  
女性達は、結構現状に満足しているんだろうな、と思う。女性差別は昔よりずっと少ない。なくなってはいないけれど、かなり生きやすくなった。声高に女性の権利を主張する必要はなくなった。寧ろここから先、完全なる男女平等を求めれば、今度は女性特有のメリットを捨てる事になる。例えば業務量、レディースデイとか女子会割引とかの特典、専業主婦という選択肢、上司からの当たりも強くになるかもしれない。男女平等とはそういうことだ。いい事づくめではない、当然痛みを伴う。  
それをどこかで分かっているから、小狡く賢しい女性達は「古き良き女性」のまま停滞しようとしてるんじゃなかろうか。
 進め!女たち!なんて、私には簡単には言えない。