2015年9月27日日曜日

すこし遠い夜にまた


高校時代の知り合い2人と、急に会うことになった。

『公園で飲むんだけど来る?』
    雑すぎる誘いにちょっと笑ってしまった。それから私はいそいそと支度をして、家を出た。

 だいたい2年ぶりに会う彼らは記憶より随分痩せていて、反対に空気はまるくなっていた。何から話せばいいのか、距離感がつかめずに今住んでいる場所のことなんかを話しながら、コンビニで1人1つずつお酒を買った。
 少し歩いて、広めの公園へ行く。時間は7時を過ぎたところだったけれど、まだそこまで暗くはなかった。制服姿の女の子たちがベンチに座ってしゃべったりしている。真ん中へんに滑り台や吊り橋なんかが一緒になった複合遊具があって、その岩山を模した部分に上って、乾杯した。
 
 高校時代はわざわざ約束して会うほどの仲ではなかったから、間が持たないんじゃないかと秘かに心配していたのだけど杞憂だった。
 今まで何してた? 今何してる? これからどうする?
 私たちは缶酒一本で延々と、過去と今と未来の話を行ったり来たりした。
 待ち合わせの前にネットプリントを印刷して読んでくれていて、2番目のやつがよかった、と褒められて、その場で音読されそうになって止めたりした。

 2人のうち1人は当時取っつきにくいところのある人で、それがすごく柔らかくなっていたから、私は彼にまるくなったねと言い、彼も私に同じことを言った。
自覚はある。高校の頃の私はとがっていて、それこそ取っつきにくかったはずだ。必死過ぎて全然周りを見る余裕がなかったのだ。そのときから考えれば肩の力が抜けたし、気楽に物事を考えられるようになった。自分でも、昔の自分より、今の自分の方が好きだ。
 久しぶりに会う友達というのはいいな、と思った。「変わったね」と言ってくれるのは、ある程度関係を熟成させた相手だけだ。大人になるって楽しい、と思った。

 2人とも、いわゆる会社員ではない。社会的に見たらちゃらんぽらんかも知れないけど、それなりに葛藤があって、その中で自分の考えを持って、次への足掛かりを見つけることのできる人達だった。到底堅実ではないし、普通の生き方とは言えないけれど、でももっと根本的な生命力を持っているように見えた。彼らと話しながら、人生なんて自由でいいんだな、と思った。

少し風があって、その冷たさが心地いいくらいの気温だった。背後を中央線が走っていく音を、何度も何度も聞いた。公園の端で、夏の終わりを名残惜しむように花火をする人を見た。

自分の行動が、出会う人を決めるのだという。私が文章を書いて、それを発表することによって引き寄せた縁は確かにある。そうして出会った人たちと、現在と過去と未来の話をするのが好きだ。進み続ける人の中には爆ぜる花火のようにまぶたの裏を焼く鮮烈な光があって、どんなに今が暗くてもその光がある限り前に進むことは怖くないと思える。
決して頻繁に連絡を取り合うわけではない彼らと、次に会うときに恥ずかしくない自分でいたいという気持ちが、私を何度でも言葉に向かわせる。ずっと色々やってるよ、そっちはどう、とすかした顔で再会したいという意地が。

寒くなるまで尽きることなく話をして、また公園で飲もう、というあやふやな約束とともに手を振って別れた。
こんな夜をまた過ごしたい。できれば、あまり近すぎない未来で。

2015年9月21日月曜日

最強ラッキーガール

中高の頃私は剣道部で、しかもずっと幽霊部員だった。真面目に出ていたのは最初の一年だけで、後の数年は部活に参加するのは年に数回程度という状態をずっと続けていた。
    最初に出なくなったきっかけがなんだったかはもう思い出せない。特別な何かが起きたわけではなくて、単に面倒臭くなって休む日が続いてそのままずるずると、という感じだったと思う。

    練習に出なければ当然うまくならない。むしろ下手になる。その上年次が進めば後輩が増え、彼らは練習を重ねてどんどん強くなっていく。
    後輩より弱い先輩なんてありえない。下手なのを見られたくない。知られたくない。駄目な先輩って思われたらもう終わりだ。そう思っていた。そういうつまらないプライドばかりが勝って出られなかった。そのブランクが長くなればなるほど、もっともっと出づらくなった。その頃は部活に出る、ということがもうほとんど恐怖だった。

    同学年の部員たちにはクラスや廊下で会うたびに「部活出ろよ」と言われるので、顔を合わせるのも怖かった。      
    顧問に呼び出されて、「そんなにずっと休んでるなら辞めた方がいいんじゃない」と言われたこともある。そうですね、と私は素直に頷いた。
    でも辞めなかった。
    一年の時から入部していたからというのもあったし、どこかの部活に所属していたいというのもあった。部活のメンバーが、それでも普段は面白くて仲良くしてくれて、居心地が良かったというのもある。部活を続ける意味がないと面と向かって言われても、その通りだと思っても、でも手放すことができなかった。

    それが本当に身勝手なことだったと、今ならわかる。同期にどれだけ迷惑をかけ、苛立たせたか知れない。それでもみんな、最後まで鬱陶しいほど面倒見が良くて、優しかった。部活に出ない私に、それでも座る場所をずっと空けていてくれた。彼女たちがもっと冷淡で無関心だったら、私だってきっともっとあっさり辞めていた。

    結局、私は劇的な盛り返しを見せることもなく、幽霊部員のまま卒業を迎えた。私の存在も碌に知らない後輩に送られる送別会の居心地の悪さはちょっと言い表せない。それでも、退部ではなく引退した。図々しくも同期達と一緒に。


    そんなこんなで大学に入学し、サークルで初めてちゃんと後輩というものができた時にはどう接したらいいかわからなかった。ちゃんと先輩として見えているかばかり気になったし、こいつら全員私のことを馬鹿にしてるんじゃないかといつも疑っていた。高校の頃から、私には後輩というものが怪物に見えていたのだ。

    でも、おっかなびっくり話をしているうちに、彼らは意外と素直な生き物だと言うことに気がついた。何か質問してきたり、知っていることを教えると素直に納得したり、ちょっとしたことで関心してくれたりするのが面白かった。

    私は特別優秀なわけでも、人徳があるわけでもない。私よりずっと頭が良くて話が上手で愛想のいい子はいくらでもいた。私はただ、彼らよりただ数年早く生まれ、年増な分だけ知識と経験が多いだけだ。そんな偶然でしかない理由で先輩と呼んでくれるのが申し訳なくて嬉しくて、そしてかわいくて、だから私はせめてこいつらに、私の知っていることは全部教えてやりたいし、うまくいくようにいくらでも手を貸しやりたいと思った。
    それは高校の時には逃げ回っていて手に入れられなかったものを取り返すための戦いだった。それにもしかしたら、いつかの罪滅ぼしの面もあったかもしれない。

    そうやって、内面ではすごく緊張しながら先輩や後輩と接していたわけだけれど、彼らと仲良くなればなるほどサークルも居心地よく、やりやすくなって、楽しくなっていった。
    こんなに単純なことだったのか、と思った。
    できることをして、助けてもらって、もらった分を誰かに返して、それを実直に繰り返すだけのことだったのだ。それだけで、自分自身がずっと生きやすくなるのだと、遠回りしながらやっと知った。


    今、会社では後輩が二人いる。質問していいですか、と言われたら忙しくても必ず時間を作る。私も、困ったら手を貸してもらう。雑談もするし、たまに飲みに行ったりもする。
    サークルの一部の後輩とは未だに時々約束をして遊びに行く。彼女達とは、もうほとんど友達だ。
    高校の部活のメンバーとは滅多に連絡は取らないけれど年に一度くらい飲み会があって、会うとみんなマシンガンのように喋り倒すので、いつも全然時間が足りない。
    高校の頃を思い浮かべれば、ちゃんと部活に出ていても仲間と折り合いが悪くて辞めた人もいる。仲が良くたって卒業したら連絡を取らなくなる人だって大勢いる。集まりがあったって、呼ばれなかったり顔を合わせられなくて出席できない人だっているだろう。
    そういう中で、私も充分すぎるほどやらかしていて、それでも今も席を並べて話したり笑ったりできる。同じ時間を共有して、ダサい所も失敗も知られている相手と、今のことや未来のことについて話すことができる。できすぎなくらい、私は最強にラッキーだ。でもそのラッキーは偶然の産物ではない。周りの人が与えてくれたものだ。私の失敗を、迷惑を、我儘を、許して、許し合ってきた結果だ。


    これからも、できることをしようと思う。余裕がなくて当たってしまったり、思ったほど相手に伝わらなかったりすることもあるだろうけれど、でもできる限り誠実でありたいし、私のもらったものを別の誰かにあげたいと思う。そうしてその誰かが、新しいラッキーガールもしくはラッキーボーイになってくれたら本当に嬉しいと思う。

2015年9月15日火曜日

《告知》ネットプリント第4回発行&1~3回再発行

月一で発行しているネットプリント、ガチふわ生活系エッセイ『生存の心得』第4回を発行します。
今回のテーマは「健康」です。
全国のセブンイレブンのプリンターより出力できます。


また、過去の分が読みたいという声を頂きましたので、今回は今までに発行した第1回から3回の分もすべて再発行致します。1つ読んでみて面白いと思ったら、ぜひ残りも読んでみてください。


号数 : 予約番号
第1回 「食べる」 : B3JRUUGY
第2回 「買う」 : R7JQ2S8S
第3回 「おしゃれ」 : T939X83M
第4回 「健康」 : 4DA7E88G


出力締切はすべて9/22の23:59までです。どうぞよろしく。

作ることについて考えていること

ネットプリントをやり始めてから、よく訊かれることと、それに対して考えていることを書く。

まず、そもそもネットプリントとはなんぞやということについて。私がいつも使っているのは富士ゼロックスが提供しているサービスで、文書を登録するとその日から1週間、セブンイレブンのプリンターから出力できるというもの。出力するのにモノクロ20円、カラー60円の費用がかかる。これは純然たるプリント代で、文書を登録した人間には入らない。
本来はサラリーマンが出張先などで必要な文書を印刷するために生み出されたものなのと思うが、現在ではクリエイターの卵が自分の作品を全国に頒布するために使う割とスタンダードな手段になっている。これはおもしろいということで私が始めたのが、いま月一で発行しているネットプリント『生存の心得』である。

ネットプリントを選んだのにはいくつか理由がある。
1つは、新しい読者層を開拓できるから。ツイッターで「ネットプリント発行します」と書けば検索ワードに引っかかるし、ネットプリントを専門にリツイートするアカウントに宣伝してもらえる。

2つ目に、頒布の手間が省けるというのがある。作品を人に見てもらう状態にするには、書く以外の作業が色々発生してくる。例えばイベント参加の為の事務手続き、表紙や背景のデザインやレイアウト、印刷屋との調整など、やらなければいけないことは山ほどある。こういう本質的でない作業はなるべく減らしたいと考えると、文書を登録だけして後は相手が出力するというネットプリントはとても効率的だ。さらにセブンイレブンから印刷できるので、自分から出向くことなく全国の人に読んでもらえる可能性もある。

3つ目は、発行期間が限定されていて、なおかつわざわざコンビニへ行き、プリント代を支払う必要があるということ。一見デメリットのようだけど、私はここに大きな意味があると思っている。
ただ書いたものを沢山の人に読んで欲しいなら、こうしてこのブログに載せればいい話で、ネットプリントよりずっと簡単だ。それなのに敢えてネットプリントを使うのは、私の書いたものに対してお金と手間をかけてもいいという人がどれくらいいるのか知りたいから。そして、そう思ってくれる人を増やしたいからだ。いずれ自分の作品で生計を立てたいと考えている人間にとって、この層をいかに増やすかというのはとても重要な課題なのだ。だから、例えプリント代が自分の懐に入らないとしても、コンビニに行ってお金を出してもらうということ自体に意味がある。

友達からは時々「データで欲しい」とか「お金払うからプリントしたやつ持ってきて」とか言われることがある。それをするのは簡単なのだけど、上に書いたような「ネットプリントをやる理由」に対して本末転倒になってしまうので私はやりたくない。というか、やらないことに決めた。
こういう風に書くと「偉そうだ」とか「それなら読まなくていいや」と思う人もいるだろうし、それは仕方のないことだと思う。が、私としては「それでも読みたい」と言ってくれる人を増やすのが目的なので、そうでない人に対しては今のところ必要以上の働きかけをするつもりはない。

色々書いてきたが、私が特別高尚なことを考えている訳ではなくて、たぶん自分の作品で稼いで行きたいと考えて継続的に活動している人は誰しも同じような考えに行き着くのではないかと思う。
想像してほしいのは、何気なく手に取った作品の裏には必ず手間と時間と時にはお金がかかっていて、それは作っている側が必死に捻出したエネルギーなのだということ。作る側は、遊びや道楽でやっている訳ではない。つまらない下らないと感じたならそれは作品に魅力がなかっただけのことだ。だけど面白いと思ったなら、受け取るときにも誠意を持ってもらえると本当にありがたい。なので、私のことに限らず、好きなクリエイターとか応援したい作家がいて、その人の次の作品を見たいと思うのであれば、受け取る側からも多少の手間を惜しまないでほしい。それが作る側を支えることになる。