2014年12月31日水曜日

2014年読書総括

今年読んだ本をまとめ、独断と偏見により感想を述べ、2014年の読書活動を総括するものである。

<2月>
1日『マアジナル』田口ランディ
9日『キッチン』吉本ばなな
18日『月魚』三浦しをん
23日『塩の街』有川浩

<3月>
28日『イナイ×イナイ』森博嗣
31日『舟を編む』三浦しをん
日付不明『太陽の塔』森見登美彦
    『阪急電車』有川浩
<4月>
日付不明『重力ピエロ』伊坂幸太郎

<5月>
なし

<6月>
12日『サマーサイダー』壁井ユカコ

<7月>
15日『白いへび眠る島』三浦しをん
16日『グミ・チョコレート・パイン グミ編』大槻ケンヂ
22日『憑物語』西尾維新
25日『消失グラデーション』長沢樹

<8月>
27日『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ

<9月>
2日『かわいそうだね?』綿矢りさ
17日『花のレクイエム』辻邦生

<10月>
1日『晴天の迷いクジラ』窪美澄
6日『横道世之介』吉田修一
14日『パークライフ』吉田修一
29日『四季 春』森博嗣
30日『世界クッキー』川上未映子

<11月>
4日『深い河 ディープリバー』遠藤周作

<12月>
16日『半島を出よ 上』村上龍
23日『さよなら渓谷』吉田修一

以上25冊

上記についていくつかピックアップし、テーマ毎に分けて感想を述べる。

[最近の作家]
今年は今まで読まずにいた作家の本を読むよう心がけ、若手作家の本をいくつか読んだ。感想としては一言「最近の作家ってこんなもんでいいんだ」。
物語としてはまとまっているし、当然1つの作品として仕上がっているけれど、点数をつけるなら10点満点で6〜7点、欠けた3点には迫力とか独創性とか熱意とかが含まれていて、彼らの作品を読んでも、それなりに上手だなとは思ってもエネルギーは感じられなかった。
私はよく文章を布に例えるのだけど、いい文章というのはなめらかで手触りが一定している。メッセージ性が高ければそこに緻密な模様が浮かび上がる。という感じなのだけど、以下に挙げる作品は読んでいて引っ掛かりが多く、一応布ではあるけれど売り物のレベルではないと感じた。

・有川浩『塩の街』『阪急電車』
ラノベ上がりだなーって感じ。エンタメ性は持っているし映像との相性がいいのは分かるが、文章はあんまり上手くない。心理描写も表面的で漫画のキャラみたい、薄っぺらくて全然共感できない。『塩の街』での主人公の男が塩の柱に突っ込むシーンをまるまる書かなかったことが私には逃げにしか見えない。

・朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』
年が近くてすばる新人賞取ってて嫉妬に焼き殺されそうで手に取れなかったけど勇気を出して読んだ。感想、微妙。何がこんなに評価されてるのかわからなかったし桐島が部活辞めたことあんまり関係なくない?  女子の心理描写とか、男が頑張って想像したんだろうなという印象。時折いいフレーズはあるけれど、前後の文から浮いてしまって下手くそなパッチワークみたい。

・長沢樹『消失グラデーション』
参考:白河三兎『プールの底に眠る』
白河三兎を読んだのは昨年だけど同じ感想を抱いたのでまとめる。
村上春樹リスペクト、ただし全く及ばない。村上春樹のすごいところはあの文章で長編を書ききれる根気と集中力にあると思うのだが、簡単に真似できるものじゃない。中途半端に手を出して完全に火傷している。2つともミステリーなのだが、文章の拙さが目についてストーリーが入ってこない。

[複数読んだ作家]
私の読書は非常に偏っており、ついつい同じ作家ばかり読んでしまうのだけど、例によって今年も偏食気味である。

・三浦しをん『月魚』『舟を編む』『白いへび眠る島』
上期は三浦しをん。比較的最近の作家の中で許せる人。8〜9点はいつも出せる。文章に安定感があるので安心して読める。『舟を編む』文学としても深みは今ひとつかなと思ったが、登場人物が生き生きしていてよかった。彼女もラノベ上がり、BLもやっていたとのことでちょいちょい滲み出ているというか、もはや『月魚』は趣味全開という感じだったけど普通に萌えたので許す。

・吉田修一『横道世之介』『パークライフ』『さよなら渓谷』
下期は吉田修一。初めて読んだのは2006年に朝日新聞で『悪人』が連載されていた時のこと。『あの人は悪人やったんですよね? その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねえ? そうなんですよね?』というラスト数文の畳み掛けるような言葉の連なりが心に残っている。
で、そこから1作も読まずに今年である。『横道世之介』はヘヴィめだった『悪人』とは雰囲気が変わり、麻のようにさらりと爽やかな作品だった。「一風変わった主人公」を描くことはあらゆる作品で挑戦されているが、奇をてらい過ぎていたりキャラを生かせていなかったり結構難しいと思うのだが、世之介という青年は実に自然体に描かれていて、読み終わりには好きになっていること必至。
『パークライフ』『さよなら渓谷』と続けて読んだが、作品ごとにがらりとカラーが変わる。非常に器用で多才な作家。

・森博嗣『イナイ×イナイ』『四季 春』
森博嗣Fシリーズ、ずっと読もうと思っていて去年ようやく手に取った。噂に違わず面白かったが、西之園萌絵がどうにも嫌いだったので寄り道がてら違うシリーズに手を出してみた。森博嗣はどっかで『作家なんて世界で1番簡単になれる』とかほざいていたが、その割に設定がいちいち厨二っぽかったりしてなんか微笑ましい。ミステリーとして完成されていてエンタメ作品として◎。

[MVP]
今年読んだ作品の中から個人的MVPを決める。2作選出。
・田口ランディ『マアジナル』
田口ランディ、めっちゃ面白いのに周りで読んでる人を見たことがないので普及したい。
『オカルト』『コンセント』読了済。彼女の小説はオカルト現象を扱い性描写も露骨なので取っつきにくいけれど、描き出されているのは生きること、人との関わりなど身近なテーマだ。ツイッターでフォローしているけれど、本人もとても丁寧に生活している人物。地に足をつけているからこそ、UFOだのイタコだの出てきても単なるSFではなく私自身の物語としてメッセージを伝えることができるのだと思う。『マアジナル』は他2作よりエグさが少ないので入り口として読みやすいと思う。

・綿矢りさ『かわいそうだね?』
やはり、綿矢りさは、天才です。
理性的な主人公があれこれと自分に言い聞かせて無理矢理納得させる長い長い前半の溜め、からの最後の突き抜けるような感情の爆発の表現を本当にお見事。多重人格なんかじゃなくとも人は様々な面を持っていて、それを社会に適合できるように飼い慣らしている。だけど荒ぶる感情は死んだわけじゃなくて、抑えれば抑えるほどに増大して表出の瞬間を虎視眈々と狙っている。そういう、たぶん誰しも持っているエネルギーの塊みたいなものを豪快に爆発させてくれた爽快な作品。全然関係ないけどご結婚おめでとうございます。もう30歳かー。

以上。来年は今年より多くの本を読むことが目標です。

2014年12月22日月曜日

冬の巣立ち2

    天気予報の通り、朝から空は不穏で憂鬱な灰色だった。午前中から時折、思い出したようにぽたりぽたりと雫が落ちた。車の後部座席で私は、まばらな雨粒が窓ガラスを汚すのを見ていた。
    引越し業者は使わなかった。10箱の段ボールと姿見と古いラジカセと私と両親を乗せて、車は東京を横断する。首都高を走る途中、脇を通り過ぎた渋谷のヒカリエを見て、みんなで不格好だと言い合った。
    乗用車の前と後ろの席の間には意外と距離がある。1度後ろから声をかけたら、聞こえなかったようで2人は別の話をし続けた。私はむっとしながら、同時に2人で話しているのを見て安堵する。先日読んだ少年アヤちゃんのブログを思い出していた。もうすぐ、あの家からは子どもがいなくなる。


    自宅から新居のマンションまではたったの1時間で、あっけないほどだった。荷物を部屋に運び入れた時には昼を回っていたので、私たちはファミレスへ行った。
「折角だからデザートまで食べちゃおう」と言って、母と二人で妙にはしゃぎながらパフェやパンケーキの載ったページを研究したけれど、ハンバーグだけでお腹がいっぱいになってしまって、結局デザートは頼まなかった。
    会計は父がした。私は「ありがとう」もごちそうさま」も言わなかった。子どもの頃、家族で外食に行ったときそんなことを言ったことはないし、言おうと思ったこともない。この人たちは、私に少しでも長く子どもでいてほしいのだろうなと思ったら、何も言わないほうがいい気がした。
    両親だけでなく誰に対しても、私はこうやって口を噤むことがある。言うべきこととそうでないこと。言うべき人とそうでない人。その区分を見極めようとして、私の反応はいつも鈍る。私はたぶん考えすぎだし、感傷的すぎる。


    段ボールに入っているのは服と本と漫画とCD、後は日用品が少しあるだけだった。家具家電の類はほとんどなかったが、なによりもまずカーテンと照明が必要だった。私たちは最寄りのニトリでカーテンと照明を買い、手分けして取り付けをした。買ってきた踏み台は高さが足りず、カーテンフックをかけるのもひと苦労だった。
    最低限、部屋が人の住める空間になり、3つの電球のうち1つが不良品であることを発見した頃には、外はすっかり暗くなっていた。家には犬がいて、散歩と餌やりをしなければならないから、両親はもう帰らねばならなかった。

    車に乗る2人を見送った後、私は1人で駅へ向かい、周辺をぐるぐる歩き回ってスーパーやドラッグストアの場所を確認した。
    雨は1番激しくなっていて、大粒の雫が足元をうねって流れていく中を、私は2リットルのペットボトルとシャンプーのボトルの入ったビニール袋を傘と一緒に抱えながら歩いた。
    なんだか泣きたいような気がしたし、泣いてもいいような気がしたけれど、やっぱり癪だったので泣かないことにした。
    誰もいない殺風景な部屋に戻って私が最初にしたことは、銀色の古いラジカセでラジオをつけることだった。

2014年12月15日月曜日

冬の巣立ち

引っ越し用の段ボールをもらいに近所のスーパーマーケットへ行った。
投票の帰り、揚々と自転車をスーパーまで走らせ、店員のおっちゃんに「引っ越しに使うんですよー」などと言いながら、段ボールを頂く許可をもらう。店の裏手へまわり、大きさごとに分けられた段ボールの山から適当なものを5つほど見繕う。そこまで来て、ようやくこの段ボールを運搬する方法について何も考えていなかったことに気づく。
段ボールというのは、箱型にすればものを運べ、潰せば平べったくなり省スペースという優れものだが、段ボールそのものを大量に運ぶとなると恐ろしく厄介な代物だ。平面にするとかなり大きいし、持つところがない上につるつると滑りやすいし、その上結構重い。実際に5枚重ねてみて、自転車のかごに乗せて押さえておけばいいのでは、という考えの浅はかさに気づく。
スーパーを訪れる客や駐車場を整備する警備員の視線に晒されながら思案した結果、大きめの1つを箱に成形し、その中に残りを無理矢理折り曲げて押し込んだ。値段だけで決めた買い換えたばかりの自転車に荷台がついていたことに初めて感謝しながら、重い紙の箱をそこへ乗せた。


私は背が低い。痩せていて、見るからに力も、体力もない。おまけに怠惰で甘ったれなので、見かねた人が手を貸してくれることがある。あぶなっかしい上に要領悪く見えるのだろう。そうやって助けてもらえることはとても幸運だし、ありがたいことなのだけど、反面、別に1人でもできるのに、と思うことがある。
背の低い人間は、あの手この手で高い所にあるものを取る術を知っている。確かに背の高い人に頼んだ方が早いかもしれないけれど、でも、取れるのだ。仮に取れなかったとしても、別のもので代替して乗り切ることだってできる。だから放っておいてほしいと思う。まるっきり背伸びする子どもの理屈だとわかっているけれど、いつまでも子どもではいられないし、いつも誰かが助けてくれる訳じゃない。むしろ助けてもらえる見込みなんて減っていく一方なのだから、背伸びでもなんでもして、自力で乗り越える術を身につけるしかない。どんなにあぶなっかしく、要領が悪かったとしても。

大人になるということがどういうことなのか、どうすればなれるのか今でもよくわからない。だけど、例えばそれが自分のことを自分でできるということだとしたら、私はまだ大人の入り口にも立てていない。いろんなことができなくて、できないままで許される場所にいる。親に庇護されて今でもただの子どもだ。そのことに、静かに焦燥感が募っていく。早く大人になりたい。思春期の子どものように思う。早く大人になって、1人で生きられるようになりたい。


家に戻る途中、一度バランスを崩して段ボールを全部地面にぶちまけた。自転車に乗ったおばあさんが迷惑そうに通り過ぎる。車が1台、器用に段ボールを避けて走っていく。コンクリートに広がった段ボールを拾い集めながら、私は彼らが「大丈夫?」「手伝おうか?」と言わなかったことにほっとしていた。そりゃ、段ボールを運ぶ怪しい女に声なんかかけるはずないことはわかっているけれど、彼らが助けてくれなかったおかげで、私は自分の失敗の始末を自分でつけた。当たり前だ。当たり前の世界で、これから生きていく。
私はもう一度段ボールを荷台に乗せて歩き出した。

来週、16年間暮らした家を出る。

2014年12月9日火曜日

灯台の座標

大人になったら、化粧なんて完璧にできるんだと思っていた。
アイラインもマスカラもばっちりで、毎日鮮やかな口紅を引いて、髪なんかも巻いちゃって、ハイヒールで颯爽と歩くんだと思っていた。
社会人になった今、私は毎朝家を出る30分前に起きる。化粧なんてチークまで入れていれば上出来といったレベルで、当然髪なんて巻けるはずもなく、子どもの頃思い描いた大人のお姉さんとは程遠い格好で電車に乗っている。
思い返してみれば、大人になんてなるまでもなく髪の毛を巻いている子は毎日きちんと巻いていたし、絶対にすっぴんを晒さない子だっていた。高校の修学旅行の部屋で、みんなより1時間も早く起きて、薄暗い部屋で黙々と化粧をしていたクラスメイトがいたのを覚えている。
幼い頃から、身だしなみを整えることよりも11秒でも長く寝ていたかった。あの時から少しも変わらず怠惰な私が、彼女のような「綺麗なお姉さん」になれるはずがない。


大人になることを「階段をのぼる」などと言うけれど、その表現はどうもしっくりこない。順調にステップアップし続けるなら人はどんどん完璧に近づくはずだし、悩みは減る一方のはずだ。それなのに次から次へと悩みの種は発生するし、欲望にも妬みにも底がない。全然上がってない。それよりも、座標を移動する、と言った方が的確だ。人には座標があって、別の座標に移動するためにはエネルギーが要る。例えば今の私は朝起きられなくて、適当な化粧をする座標に立っている。身だしなみのために早起きできる私になるためにはエネルギーが必要だ。そしてエネルギーとは、努力とか意志だったり、する。


就職活動が始まった時、私は自分が何を仕事にしたいのか、どういう大人になりたいのか、具体的なものがまったくなかった。とりあえず、おしゃれだから広告や出版系を受けてみたり、自慢できそうだからとりあえず名前を知っている大手を受けてみたりしては落ちまくった。狂った方位磁針のようにくるくると方向が定まらなくて、わかりやすいものに飛びついては跳ねつけられた。きちんと化粧をし、髪を巻き、ヒールで颯爽と歩く大人の女性にイメージだけで憧れていたのと同じだ。自分が本当にそうなりたいのかは考えなかった。何が悪いのか、どうすればいいのかわからないまま、プライドだけは一人前で、私は現実逃避するように貪るように眠った。努力はしなかった。
幸運なことに、そんなに悪くない会社に拾ってもらって、それはやりたいこととは程遠かったけれど、やっぱり私は嫌なことは考えたくなくて、そこで就職活動を止めた。仕事のことは働きだしてから考えればいいやと思った。

就活が終わってから、私は友達と文学フリマというイベントに参加することになった。それぞれが文学だと思う物を作品にして売る、ものすごく小規模なコミケみたいなものだ。11つ作品を書いて、それをまとめて本を出すことになった。
私はパソコンを持ち歩き、図書館やカフェや家で、卒論と交互に小説を書いた。書きながら思い出した。幼稚園の時から小説家になりたかったこと。聞かれなかったから答えなかったけど、私の夢はそこから1度も変わっていないこと。本当は思い出したんじゃない。忘れてなんかいない。余りにも遠くて、考えるのがつらいので、私は眠って、それを考えないようにしていただけなのだ。だけどパソコンのフォルダを開いてみれば、途切れながらもいつも文章を書いていた痕跡があった。私の座標は、あの頃から全然動いていなかった。
それがわかったとき、解放されたような気がした。自分が変わっていないことを知るために、それまでの人生を費やしたようだと思った。でもそれでもいいと思った。私はやっと、自分がどこに立っているのかを知ったのだ。夢は相変わらず遠い。以前よりもっと遠いかもしれない。でも、陸の灯台の灯りのように、夜中でも、嵐に荒れた中でも私はその光を見ることができる。どれだけ遠くても、どちらへ向かえばいいかはっきりわかっている。私が迷うことはもうない。



あの修学旅行の日、人がいると眠りの浅くなる私は、ほんのりとカーテン越しに朝日の入る黄土色の室内で、布団に入ったまま化粧をする彼女の後ろ姿をずっと眺めていた。化粧なんてろくにしたことのなかった私には、どうして化粧にそんなに時間がかかるのかわからなかった。今、落ち着いて化粧するときでさえ、彼女ほど時間がかかることはない。それでも私はずっと、彼女の背中から目を離せない。誰に自慢することもなく、認めてもらおうとするでもなく、ただ黙々と自分の目指す座標に向かう姿は美しかったと思う。

2014年11月30日日曜日

ダンス・ダンス・アンド・ダンス

あなたの人生の一冊はなんですか。
と、もしそう質問されたら、迷うことなく「村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』です」と答えるだろう。
中学生にはなっていなかったと思う、11歳か12歳のとき私は実家の本棚にあった不思議なタイトルのその本を手に取った。講談社の、黄色い背表紙の文庫本だ。
まるで一枚の上等な絹の上に手を滑らせているように、その本の文章はするすると心地よく私の中に入ってきた。初めから終わりまでどこをとっても引っ掛かりのない、根気と研ぎ澄ましたセンスによって織り上げられた、それは緻密で繊細な世界だった。それまで私が年相応に読んでいた青い鳥文庫や岩波少年文庫よりも、一枚の挿絵もない、行儀のよい虫のように文字だけがびっしりと並んだその本の中の世界の方が圧倒的に豊かだった。言葉には、絵や音を凌駕して表現する力があるということを、驚愕とともに知った。その時から、私は言葉の国の住人だ。


「踊るんだよ」

『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、羊男という人物が主人公にこう語るシーンがある。

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなことは考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう」

「あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」

「でも踊るしかないんだよ」

「だから踊るんだよ。音楽の続く限り」


 何かに躓いたとき、嫌になったとき、諦めようとするとき、心の中の暗がりから羊男が現れて、「踊り続けるんだよ」と言う。そうすると私は、「ああそうだ、踊り続けなくちゃいけないんだった」と思い出す。下手でも笑われても、あるいは誰もこっちを見ていなくたって、とにかく踊りつづけなければいけないんだと。そうして、羊男の言葉に蹴飛ばされて、停まりそうになった足をもつれさせながら、私はなんとか次のステップを踏む。

 足を切り落とされてしまった赤いくつの少女は、それだけでは残酷で不条理な物語だ。葬式に赤いくつを履いていっただけで足を切られるなんて代償が大きすぎる。けれど、羊男の言葉と共に考えるとき、私は不思議な感慨を抱く。彼女の足は、足だけになっても踊り続けたのだということに。そして、足を切られてでも踊り続けなければならないときが、人生の中にはあるのかもしれない、と思う。

 これから先、また何度でも躓いて、何もかも放り出したくなるときが来ると思うけれど、その度に私は羊男の言葉を思い出すだろう。
「踊るんだよ、踊り続けるんだよ」
 その言葉が、私にはダブってこう聞こえるのだ。

生きるんだよ、生き続けるんだよ、と。

2014年11月24日月曜日

ぼくとあたしと私たち

 小学校に上がるくらいまで、自分のことを「ぼく」と呼んでいた。
 自分のことを男だと思っていたわけでもないし、何に影響を受けたんだか受けていないんだかも定かでないけれど、物心ついた最初の時の一人称は「ぼく」だった。
 親に注意されたような気もするし、自分でもおかしいと思ったのかもしれない。当時周りの女の子たちは自分のことを「うち」と呼んでいたから、私も呼び方を「うち」へと矯正した。私は普通になって、みんなと同じようになって、それから自分のことをなんて呼ぶかなんて気にしなくなった。

 中学生のころ、今度は一人称が「うち」なのはダサいという感覚が急激に広がった。いかした女の子は「うちさあ」なんて田舎者みたいなことは言わない。「あたし」と言うのだ。
「うち」はダサいから使いたくない、だけど散々「うちがうちが」と言い合ってきた友達の前で急に呼び方を直すのは恥ずかしい。呼び方を変えるタイミングがはかれずに悶々と過ごしていると、それまでは気にしたこともなかったのに、そう言えばこの子は最初からあたしって言ってるなとか、こいつこないだまで「うち」だったくせに直しやがった、とかいうことがやたら気になってくる。仲の良かった友達が、ある日しれっと「あたしはさ、」なんて言い出すと、「抜け駆けしやがったな」と「やるなこいつ」というのがないまぜになって複雑な気分だった。とはいえ、もたもたしているとどんどん取り残されてしまう。葛藤を乗り越えて、私もどうにか「あたし」に進化した。

 勝手に命名するけれど、こういう「人称パラダイムシフト」は誰しも一度や二度経験があるはずだ。例えば男の子が「ぼく」を「俺」に変えるとか。「ママ」を「お母さん」にするとか。あだ名じゃなくて友達同士名前で呼び合うことに憧れて呼び捨てにしてみたりとか。初めてその呼び名を使った時の違和感がものすごかったこととか、気をつけてたのについうっかり「うちがさー」って言っちゃったときのいたたまれなさとか、思い出すだけで痒くなってくるような経験が。

 今の自分が嫌で、憧れとか、なりたい自分がいっぱいあったのだと思う。だけど、どうやったらなれるのかがわからなくて、とりあえず形から入って、新しい自分になったことにした。はじめてそれを使った時からどれだけ経ったのか、今の私は我が物顔で「あたし」と言う。だけど、その度に内側から笑われる。全然さまになってないよ、それ。
実際、「あたし」と言う時、私はいつも少し嘘をついている気がする。口から出る言葉が、自分の本心から薄皮一枚二枚離れているのを感じる。さまになっていないのだ。全然、自分のものになっていない。
 みんなと違うのはおかしいと「ぼく」から「うち」になり、格好つけたくて「うち」から「あたし」になった。それまでの自分はなかったことにしてきた。だけど本当はなくなってなんかいない。心の中で本音を言う時に出てくるのは、今でも「ぼく」だ。結局、それが私の本質に一番近いのかもしれない。


 私は良識ある大人だし、三次元のぼくっ娘がイタいこともわかっているから、「自分らしく生きるために今日から一人称をぼくにします!」なんてことはしない。今さら「ぼく」と言うのもそれはそれで違和感があるし。
 代わりに、イタくて恥ずかしくて死んだことにした「ぼく」の棺桶のふたを、ちょっと開けてみる。そこには、取り繕わない子どもの私が寝ころがっていてこっちを見ている。全然死んでない。
 私は「ぼく」にこっそりお願いする。
「今さらそっちにも戻れないけど、「あたし」が言えないことがあるときは、またよろしく」

 そっと戸を閉めたとき、それはもう棺桶ではない。

2014年11月12日水曜日

今夜は帰らない

 学生のころ、飲み会が終電前の微妙な時間に終わった時、必ず誰かが「これからどうする?」と言った。もう1軒どこかへ行ってそのままオールするか、ここで切り上げて帰るか、という意味だ。いつも同じようなメンバーでつるんでいて、その中でいつも残るメンツというのも大体決まっていた。私は帰らない人だった。ある時期には、帰らなすぎて親にめちゃくちゃ怒られたこともあるほど。
 今振り返ると、1番頭悪くて、1番楽しかった時期であるような気がする。私は冴えない地味な女子高生だったので、友達や先輩と毎日のように遊び暮らす日々は余りに楽しくて、楽しすぎて、現実じゃないみたいだった。高校生の頃には想像もできなかった未来だ。こんなに楽しい中に自分が加わっていることが不思議なくらいだった。
 だからかもしれない。「これからどうする?」と聞かれた時、私はどうしても「今日は帰る」と言えなかった。アルコールの力を借りた夢心地から離脱してしまうのが名残惜しかったのももちろんあるけれど、ここで帰ってしまったら、リセットされて自分の居場所もなくなってしまうような不安がどこかにあって、自分からは帰ることを選べなかったのだと思う。だから、正確に言うなら、帰らないのではなく帰れなかったのかもしれない。

 帰らない人が決まっているように、帰る人もだいたい決まっていた。そういう人は、今日は帰ると決めた日には、誰がどうやって引き留めても首を縦に振らなかった。まだ明るい駅の改札に吸い込まれていく背中を見るたびに、置いて行かれたような、裏切られたような気分になった。そうして、自分の意志でここから出ていける彼らにいつもひっそりと憧れた。

 オール明けの朝には化粧も落ち切ってひび割れたしゃがれ声しか出なくて、頭は脳みその代わりに石でも詰められたかのように重く働かず、麻薬の切れた中毒者のような有様で始発に乗る。電車に乗ってしまえば、いずれは1人だ。白けるような朝焼けの街が通り過ぎるのを、まぶたの落ちそうな乾いた目でぼんやり眺めて、そこまで来て毎回思い知らされる。朝まで残ったって、結局は寂しいんじゃないか。


 先輩の新婚のお宅にお呼ばれした。みんなで信じられないほど飲んで笑って、あっという間に時間が過ぎた。「終電で帰ります」と言うと、泊まって行けばいいのに、と言われた。何人かの人は最初から泊まる予定であったらしい。
 ものすごく名残惜しかったけれど、泊まりの道具も持っていないし、オールの翌日は昼まで寝てしまってなにもできなくなるからと辞退した。その時は言わなかったけれどもう1つ理由があって、その日私は、自分で帰ると決めてちゃんと帰るというのを実行したかったのだ。

 泊まり組に手を振って、1人夜中のホームに立つ。ベンチに座ったおっさんが、びっくりするほどでかいくしゃみを何度も繰り返す。終電に乗り込むと、中の空気は重力がきつくなったかのように重苦しく、ぽつりぽつりと座る乗客は眠ったり、携帯を弄ったりしながら終点を目指す。
 ネオンも消えた街を明るい箱に乗って進む。私は微かに酔いながら、残った人達のことを考える。今頃、さっきのウノの続きでもやっているだろうか。もう何時間かすれば、きっと真夜中にしかできない話が始まるだろう。残ればよかったな、と考えないようにしていたことがよぎる。私も聞きたいことや話したいことがいくらでもあるのに。
 そうして、今さらになって気づく。あの時、誘いを断って帰ったあの人も、たぶんこうやって名残惜しくて寂しかったはずだ。どれだけ楽しくたって、何時に解散したって、最後は自分1人なんだ。なんだかできすぎなくらい示唆的だ。

 帰れるか、帰れないかじゃなく、それを自分で決める人になろう、と思った。そしてそれは、「帰れる」「帰れない」に限ったことではない。なにせこれは示唆的なお話なので。

 そうして帰りの電車に揺られながら決めた。次の機会があったら今度は帰らない。

2014年11月8日土曜日

手帳と情熱

また、来年の手帳を選ばなければならない季節がやってきた。
 
書店や雑貨屋に入って、見慣れない西暦のカレンダーや手帳がずらりと並んでいるのに気づく。なんかちょっと、忘れていた仕事を見つけてしまったようで気が重くなる。どうしてか、手帳を選ぶことは私にとって気が進まない作業だ。
 
 私は洋服が好きだ。買う気はなくとも服を売っている店があればとりあえず一通り見て、何が流行っているのかを確認し、自分が今どんな服が欲しいのか頭の中のイメージを具体的なものにしていく。手に入らなくたって、きれいなものたくさん見て自分をアップデートする行為には充実感がある。だから、カラフルで趣向を凝らした手帳をいくつも手に取ってあれこれ検分するのだってもちろん楽しい。楽しいのだけど、手帳を選ぶのは服を選ぶのとは比べ物にならないほどのエネルギーを要求される気がする。
 洋服は毎日着替えるし、その日1日着るだけと思えば多少機能性には目を瞑ってデザインを優先させることもできる。足が痛くなったってかわいい靴を履く日があってもいい。だけど手帳はそうはいかない。手帳はほとんど毎日、しかもまるまる1年もの間持ち歩くものだからだ。機能性だけでも駄目だし、デザイン性だけでも駄目だ。1年間の一蓮托生の相方だ。基本的には1年に1冊しか持たない手帳は、その人のセンスが集約されている気がする。とか考え始めるともう既に話が壮大になってきて、わくわくするより先にため息が出てしまう。


 こういう手帳が欲しいというイメージはある
 デザインの面で言えば、ぱっと目を引く鮮やかな色で柄は大きめで個性的なもの、細長過ぎず正方形過ぎず、手に馴染むそこそこの厚みがあり、なおかつ高級感のあるもの。まちがってもあのださくて安っぽい透明カバーなどに覆われていてはいけない。
 機能性についてなら、まずペンホルダーがついていること。マンスリーとウィークリーのページがほしくて、デイリーはいらない。路線図が大きめに入っていてメモ部分が多め。ページが柔らかく開き、のどの部分にも書き込みしやすいもの
 以上すべてを満たすもの。あと、しおり紐は2本あるとさらによい。
 てな感じでこだわりはある。ありすぎるほどにある。ありすぎてうんざりしてしまう。「これだけの条件に当てはまる人を探し出さなきゃいけないの?」とか言って、結婚相手に求める条件を全部並べて、現実との乖離にげんなりする婚活女みたいな感じで。
 だからといって適当なもので妥協するのは絶対に嫌だ。私は、気に入った傘が全然見つからなくて、でも100%好きと言えない傘を持つのが嫌で、ここ5年ほど薄汚いビニール傘を使い続けている女である。手帳だって中途半端なものを持つくらいだったらミスドのスケジュールンでええわ! と逆切れしそうになる。
ちなみに調べてみたのだが、現在のシステムだとミスドのスケジュールンを手に入れるには300円で1枚貰えるカードを8枚集める必要があり、単純計算で2400円かかり、下手な手帳よりよっぽど高かった。


 後輩に文房具が好きな子がいて、ツイッターなんかで時々新しい文房具のことをツイートする。それを見て、咲く花が変わるのを見て季節が変わるのを感じるように、今はこういうのがあるんだなあとか、進化してるんだなあと知る。彼女は私にとって、文房具界に開く窓みたいなものだ。
 そんな彼女はもちろん手帳についても並々ならぬこだわりがあり、毎年私には及びもつかない時期から来年の手帳の検討を開始する。自分が欲しいものを明確にし、情報を集め、検討を重ねて選択肢を絞り込んでいく。その情熱は、ツイッター越しにも伝わってくる。ああ、なるほどと思った。
 私も手帳にこだわりはある。でも情熱がない。窓から見える素敵な文房具や雑貨に時々目を奪われるけど、部屋の中にはそれよりもっと好きなことややりたいことが山積みになっていて、それ以外にエネルギーを傾けている暇がないんだ。
 本当に求めている手帳ならわざわざ探しに行かなくたって、古い少女漫画で食パンくわえたヒロインが曲がり角で王子様と出会うみたいに、私の前に現れるだろう。そんな感じで運命って言葉に都合よく押しつけて、今年も私は手帳を探さない。

2014年10月24日金曜日

遠い人

知り合いが亡くなった。
正確に言えば、半年も前に亡くなっていたのを知らされた。
メールで受けたその報せの意味が、私にはよくわからなかった。1年前に会ったその人が、もうこの世に存在しないのだということが、頭の中で何度メールの文面を反芻しても理解できなかった。


彼女がなぜ亡くなったのか、理由は記されていなかった。メールを受け取ったあと私はすぐ、彼女のフェイスブックや、ラインのアカウントを確認した。彼女が現実に存在した人物だということを確かめたかったのかもしれないし、余りにも唐突で現実感がなかったから、その死を確かな形で感じられる何かを探していたのかもしれない。その日、フェイスブックの彼女のページには、『誕生日は3日前でした。』と表示されていた。
彼女は私より1つ年上で、24歳だった。明るくてよく気のつく人で、ギャルで、話すのが早くて、会話のテンポの悪い私はそこが少し苦手だった。1年前飲み会の時、丁度就職してそれぞれの生き方が別れる時期だったから、この中にはもう2度と会わない人がいるかもしれないのだなあと考えていた。その中の1人だった。もう会わないかもしれない、私も向こうも互いに思い出すことさえないかもしれない。でも私に見えないところで、それぞれの人生はずっと続いていくのだと、信じるよりも当然に思っていた。
なぜ私は生きていて、彼女は死んだのだろう。そこに大きな違いがあるようには思えなかった。彼女は25歳になれなかった。私は今23歳だ。私が24歳になれるかどうかなんて、誰も保証してくれない。明日生きているかどうかさえわからない。頭の中には、次々と友達や知り合いの顔が浮かぶ。今この瞬間、私の目の前にいないすべての人たちは、本当に生きているのだろうか?
2度と会えなくてもいい、私の人生と関わりなどなくてもいい、ただ生きていてくれればいいと思った。こんなの感傷が過ぎるよな。だけど今まで自分も周りの人間も健康で元気で『死』なんてものとは縁遠く暮らしてきた私は、初めて死というものが、道端の石ころのようにすぐそこに転がっているものだと知った。足元も見ずに歩いているけれど、生きることは、細い細い綱の上を渡るようなものなのだと。


その日の帰り道ずっと、喉の奥には大きな塊がつまったようにひどく痛んだ。苦手だったけれど、もう2度と会わないかもしれないと思っていたけれど、それでも同じ時間を共有していた彼女は私の中に確かに存在していて、彼女は私からその部分をもぎ取って行ってしまったのだ。この感情が一体何なのか、私にはわからない。あるいはこれを悲しみとか、喪失とか呼ぶのかもしれない。

すれ違うことさえ2度となかったとしても、生きてさえいてくれればよかったんだ。喉の奥には、たぶんそういう言葉がつまっていた。

居場所

誰といても気を使われている気がするし、どこにいても仲間に「入れてもらっている」気がする。そういう感覚が、ずっとずっと消えなかった。
 いつも爪先立ちで過ごすような気持ちだった。会話の流れを止めたくなかったし、同じタイミングで笑いたかったし、こっそり秘密を打ち明けてもらいたかった。友達になってもらうのではなくて友達になりたかった。だけど、どれもあんまりうまくできなかった。なんとかその場に馴染みたくて、ある時は相手の言うことに全てに賛同してみたり、逆に極端なことばかり言って存在感を示そうとしてみたり、また別の時には向こうから声をかけてもらうまでだんまりだったり、もがくみたいに色んなことを試してきた。でも、それは形の合わないパズルのピースを無理矢理はめ込んでいるようなもので、そんなことを続けてみてもピースが痛むばかりだった。そんなことを続けて、毎日毎日しんどかった。
誰とでも仲良くなれる人がいる。彼らはたぶん大らかな形状をしていて、誰とでもなんとなくうまいこと当てはまることができる。そういう人を秘かに羨みながら、私は余分なピースのような自分を持て余した。うまく当てはまってくれない社会だとか世界だとかに憤ったりもした。そして、一生歪に余ったまま生きなければならないのかと考えてひどく不安だった。狭い教室という世界で友達らしきものに必死でしがみつきながら、いつまでも陸の見えない海で漂流しているような気分だった。


 溺れそうになりながらなんとかやってきて、私は大学に入った。教室の四角い壁はなくなった。そこにはうんと年上の人もいたし、ものすごく面白い人も、私より話すのが下手な人もいた。苦手な人も嫌いな奴もいた。色んな場所に行って、色んなものを見た。相変わらず喋るのは苦手だったし、プライドの高い嘘つきだったし、扱いにくい奴だったと思う。だけどまれに、私のことをおもしろいと気に入ってくれる人がいた。そういう場所で過ごして、私は少しずつ自分で泳ぐことを覚えていったように思う。


 わかったことがある。居場所なんてものは奪ったり誰かに与えてもらうものではないこと。そうして得た椅子が、自分のお尻に合うとは限らないからだ。そして、運命のようにぴたりと噛みあわなくても、誰かと友達になることはできること。
 誰かに認められたり、愛されたり、気に入られたり、1番にしてもらう必要なんてない。居場所なんて必要ない。誰とも当てはまらなくたって、私が私の形をしてここに存在していることは変わりない。生きている限り。
 そう気づいてから、生きるのは唐突に簡単になった。

 今日もぷかぷか泳ぐ。

2014年10月15日水曜日

はじめてのこと

 はじめてのことをするのが苦手だ。
 うまくできなくて失敗するかもしれないし、恥をかくかもしれないことが嫌だ。
もちろんはじめてなのだからうまくできるわけがないし、あるいは逆に天賦の才を発揮する可能性だってあるわけなのだけど、そういうことを全部ひっくるめて、要はどうなるのか予測が立てられない状態に置かれるのが嫌なのだ。
私はコミュニケーション能力が低いので(なんて、みんなが口を揃えて同じことを言うけれど)、人との会話やリアクションは感覚ではなく理屈で行っている。こうしたら受けるだろうなとか、こう答えて欲しいんだろうなとか、こう言ったらどう思われるかなとか、全ての事柄について1度理性の検閲を通してからでないと表に出せない。だから、予想の立てられないことや、考える暇のない瞬発力を必要とするものや、頭を経由できない身体を駆使する行為が苦手だ。いつからか、苦痛なほどに苦手になっていた。


生まれた時から内気でインドアで周りの目ばかり気にしているような子どもだったので、生来そういう性質を持っていたのは確かだけれど、それでも子どもだから大人に従って、学校や家で次々与えられる授業やら習い事やらの課題を、苦手なりに端からこなさざるを得なかった。だが、大人の言うことを馬鹿正直に聞く必要なんてないことが、成長するにつれて段々とわかってくる。
高校の体育の授業を思い出す。女子高生というものは、とかくまじめに体育をやらない。自分の番以外はずっと隅っこでお喋りしていたり、生理だからと適当なことを言って休んだり、ジャージの着こなしの方が重要だったりする。それは、必死に格好つけてるのに体育なんかやってられるかということかもしれないし、出席さえしていればなんとかなるとわかってしまったからかもしれないし、周りがだるい雰囲気を醸し出す中自分一人張り切るわけにいかないからかもしれない。とにかく真剣にはやらないし、やれない。そういう場所で、私も女子高生だった。
もちろん、みんなそれぞれに熱意を注いでいたものがあったのだと思う。私にだってあった。だけど、40人近いクラスで学校指定のジャージを着て校庭に整列した時の、溶けたアイスクリームみたいな空気は、もうどうしようもなかった。
大学生になってしまえばそれはもっと顕著で、やりたくないことなんか全部スルーできる環境で何年も過ごした。楽しいばかりの日々で、苦手なものはもっと苦手に、やったことのないことに対しては更に頑なになっていった。


焦りのようなものはずっと抱えていたのだと思う。楽しさの裏で、自分の弱点が克服できないままに根深く、大きくなっていくのを感じていた。
ある時、このままだと駄目だと思った。やったことのないことを嫌い、排除し続けていけば私の人生は先細りして、いずれ何もなくなってしまう。そして、そうなった時にはもう、色んなことが取り返しがつかなくなっている気がした。
それから私は、色んなことをとりあえず「やってみる」ことにした。行くか行かないかなら「行く」。やるかやらないかなら「やる」。やりたくなくても「やりたい」と言うようにした。そうしてやってみた今まで避けてきたあれこれの「はじめて」は、どれも面白かった。マラソンもボーリングもスカッシュもスマブラも、知らない人ばかりの飲み会も苦手な人に声をかけることも自分の書いた文章を人に読んでもらうことも。いつでもいい結果ばかりだったわけではないけれど、どれももう一度やってみたいと思う。

 既に確立されてしまった人格が、今さら大きく変わるとは思っていない。相変わらず考えてからじゃないと話せないし、はじめてのことは苦手だ。できれば自分の好きな人達と、得意なことにだけ埋もれて暮らしたい。だけど、それでも「やる!」と言った数だけ、今までの私が辿りつけなかった場所を近づけてくれるんじゃないかと、そういう期待をしている。

2014年10月2日木曜日

金木犀

 フジファブリックのアルバムを聴きながら帰り道を歩く。イヤホンから『赤黄色の金木犀』が流れだす。折しも金木犀の季節、花の形は見えずとも甘い香りが漂って、街全体が秋に浸されているようだ。


 志村正彦が死んだ2009年、私は高校生だった。ある朝友達が沈んだ顔をして教室にやってきて、志村さんが死んでしまった、と言った。別の友達がそれに応え、2人が悲壮な空気になったのを、私は突然異国に放り込まれたような気分で端から眺めていた。その日、家に帰ってYouTubeで初めてフジファブリックの『銀河』を聴いた。
 志村が死んでからその曲を聴き始めた私には、彼の音楽はショパンや夏目漱石と同じ、歴史上の存在だ。永遠に更新されることのない、完結した過去。けれどあの日「志村さんが死んでしまった」と言った友達にとって、それは紛れもなく喪失だったのだ。
 それを思うにつけ、私はフジファブリックに出会ったのが志村正彦の死後で良かったと思う。おかげで私は自分の中から志村正彦を失わずに済んだのだ。彼女達と違って。


「僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた」

『赤黄色の金木犀』のフレーズを聴きながら、私はあとどれくらい生きられるのだろうと考える。やりたいことを、あといくつできるだろうかと。

 息を吸えば肺いっぱいに甘い空気が満ちる。この季節も、きっとあっという間に終わってしまうだろう。

2014年9月27日土曜日

ガチャガチャ

今日、地元で、セーラームーンのガチャガチャを見つけて、思わず回してしまった。
セーラー戦士5人をモチーフにした5種類のイヤホンチャーム(イヤホンにつけるとキラキラ揺れてかわいい!)という全く実用性のないもので、私自身セーラームーンがすごく好きというわけでもないのだが、その安っぽいデザインがすごくかわいくて、光に吸い寄せられる虫のようにフラフラと、気づけばガチャガチャの前に立っていたのだった。
 1300円。どう考えてもそれほどの価値の代物とは思えないが、社会人の今となってははした金、見よこれが大人の力とばかりにミウミウの財布から出した100円玉を投入してハンドルを回す。出てきたのは、セーラージュピターがモチーフの、ピンクと緑のイヤホンチャームだった。
 改めて、5つのラインナップを眺める。
 タイムリーにセーラームーンを視聴していた幼き頃、私のお気に入りは火野レイ、セーラーマーズだった。今だったら(アニメはもう見ていないけど)、あざとくてチャーミングな美奈子ちゃんが好きだ。チャームのデザインで選ぶなら、心なしか他より豪華なセーラームーンモチーフがダントツにかわいい。セーラーマーキュリーのチャームは水色の色合いがとても綺麗だ。
 何が言いたいかというと、5つの中で1番欲しくないやつが出ちゃったのである。いや、決してジュピターが嫌いという訳ではないけれど、5つも並べられたらやっぱりどれが欲しいとかどれだったらいいとか頭の中で順位づけしちゃうじゃないか。
 というわけで、実物を見るだに安物のイヤホンチャームというわけのわからないもののために、私はもう1度大人の力を発動してガチャガチャを回した。出てきたのはセーラーヴィーナス。青とオレンジのコントラストの強さが小悪魔的。
 ……うーん、見れば見るほどセーラームーンのやつが欲しい。しかしまあ、今日のところはこれで勘弁してやろうと、ゴルフボールくらいの小さなケースを2つ鞄にしまい、ガチャガチャの前を離れたのだった。


 子ども時代、私は1度もガチャガチャをやったことがない。お菓子についている食玩も買ってもらったことは数えるくらいしかないし、駄菓子も買ったことがないし、家の冷蔵庫にジュースの類は全く入っていなかった。漫画というものをちゃんと読んだのは中学生の時が初めてで、ちゃおもりぼんもマーガレットも手に取ったことがない。ゲームボーイも持っていなくて、あったのはスーパーファミコンとプレステ1、以上。今考えると、かなり管理された家庭環境だったのだと思う。
 じゃあ何をしていたのかって、たぶん本を読んでいたのだと思うけれど、それを寂しいとか、他の子が羨ましいとか惨めだとか思ったことは一回もない。不思議なことに。
 もちろんガチャガチャをやってみたいという気持ちはずっとあったけれど、気恥ずかしさと、一度もやったことがないゆえの変なためらいがあって、初めてあの丸いレバーを回したのは大学生の時、20歳を過ぎてからのことだ。たぶん、旭山動物園の動物フィギュアのガチャガチャが人生初だったと思う。
 その、非常にライトなギャンブル感とフィギュアの予想以上の緻密さと、やっとガチャガチャができたという喜びはちょっとしたもので、その頃にはバイトでいくらか自由に使えるお金があったし、その使い方も知り始めていたので、以降事機会さえあればガチャガチャに硬貨を投じるようになった。
 子どもの頃できなかったことを取り返そうとするように、私はブランドものの財布からためらいなく金を出す。今の私は働いて給料をもらっているから、「大人の遊び!」と言いながら友達と23回と気の済むまでトライすることができるし、出てきたフィギュアやらチャームやらを並べて悦に入るところまで含めて非常に楽しい。楽しいけど、だけど、本当に子どもの頃、お小遣いを握りしめて1回こっきりに1番欲しいものを賭けてハンドルを回すその気持ちを、私は知ることができないのだな、と思い知った。
 子どもの頃貧しくて手に入らなかったものとか、親の趣味に合わなくてやれなかった習い事や着られなかった服なんかを、大人になって得た金や自由で手に入れる人は多いと思う。それはそれで達成感や幸福を持つけれど、子どもの頃、本当にそれを渇望していた時に与えられる充足感にはどうしたって及ばない。「あの時」手に入らなかったという過去のコンプレックスは、どうしたって埋めることができない。自分の自由にならなかったからこそ価値があったたった1度のガチャガチャを越える喜びを得ることは、大人になった私にはもうできないのだ。
 手の中のイヤホンチャームは安っぽくてかわいいけれど、ガチャガチャが出来なかった私の中の幼い私は、永遠に寂しいままだ

2014年4月29日火曜日

利己的な性善説

『重力ピエロ』伊坂幸太郎

について書く。


『人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こる。』
 性善説である。そして私は性善説論者である。正確に言うと、この孟子の教えの前半部分に特化して、「人間は本来的には悪を憎み善を目指す心を持っている」と考えている。誰でもみんな本当は、最初は、良い奴だったはずだよね、ということである。だって、みんななんだかんだ勧善懲悪ものが好きだし、できれば悪役よりヒーローになりたいんじゃないだろうか。ここではその思想を、便宜的に性善説と呼ばせていただく。
悪いことは悪く、良いことは良い。非常に単純明快な思考だ。……だけど、一つの出来事について、善と悪が表裏一体となっている場合、性善を有する私たちはそれをいかにジャッジすればいいんだろう?


『重力ピエロ』の語り手・泉水。彼の弟・春は、彼らの母がレイプされてできた子どもだ。冒頭でその事実は明かされ、泉水の自問を通して読者である私たちに、物語の終わりまで枷のようにまとわりつく重い問いを投げかける。

問い:『レイプでできた子どもを産むことは正しいか否か?』

即答できる人は多くないだろう。悩んだ末に正否の答えを出す人もいれば、泉水と同じように、「レイプは悪だが、春が生まれたことは間違いではない」と結論を出さない人もいるだろう。そもそも、こんなの答えのある質問じゃない!と憤慨する人もいるかもしれない。まさしくその通りで、『試験問題や○×クイズではないのだから』正答など存在しない。けれど、答えがないとわかっていても泉水は繰り返し自問する。物語の向こうで、伊坂幸太郎が私たち読者たちにも解答を要求しているのだ。まるで私たちの中の性善が、中途半端は許さぬ、白黒つけよと、悪を定めて断罪せよと迫るように。

けれど、では、正しさとは一体なんだろう?私たちはどのように善と悪を線引きしているのだろう?
兄弟の父親は、妻から妊娠を告げられたとき、春を産むことを決断した。泉水もそれは正解だと思っている。けれど自分の妻がもし同じ目に遭ったなら、たぶん産ませないだろうと考える。
かつての連続レイプ犯である葛城という男は「強姦は悪ではない」と自信満々に言う。
『俺は気持ちいいだけで、苦しいのは別の人間なんだ。犯罪の快楽は俺にあって、犯罪の被害は、俺の外部にある、ということは、強姦は、悪じゃない』
読んでいて胸糞悪くなる台詞だ。筋の通らぬ屁理屈だ。けれど重要なことは、周りがどう思おうと、葛城にとって強姦は悪ではなかったということだ。
クライマックスで、落書きと放火を重ねてきた春が遂に血縁上の父である葛城を殺す。殺人に放火、社会的に考えれば春は完全に悪人だ。けれど、物語を読み進めながら泉水とともに答えのない自問を繰り返し、春の苦悩を慮ってきた私には、春を父親殺しの極悪人だと糾弾することはできない。よくやったとさえ言いたくなっている。
ここに並べただけで、いくつもの矛盾と価値観の多様さが浮き彫りになっている。私たちは、なるべく正しくありたいし、できれば悪役よりヒーローになりたい。けれど正しさなんてものがいかに不確かなものであるか、伊坂幸太郎は嫌というほど突きつけてくる。その上で、冒頭の問いへの答えを求めてくるのだ。


結論のない問題について考え続けるのは苦痛だ。苦痛なら思考を止めてしまえばいい。自分が正しいという証拠集めは放棄して、悪だと開き直ってしまえばいい。当初から葛城への断罪を心に決めていた春は兄に言う。
『そのことは忘れないでほしい。絶対に。俺は正真正銘の悪人なんだ』
 葛城を殺した後にも、同じように、まるで無理やり出した答えで暗示をかけるように繰り返す。
『世の中では、これは悪いことで、俺はたぶん、狂人のたぐいだ』
『俺は許されないことをやったんだ』
 春は思考を放棄した。自分を止められないとわかっていたし、自分の行いが社会的に許されないと知っていた。だから、自分を「悪」だと決めて、それ以上考えるのを止めてしまった。
だけどそんな弟に泉水は、自首の必要はない、と言う。
『おまえは許されないことをやった。ただ、俺たちは許すんだよ』
人殺しの、犯罪者の弟に。
彼自身の性善説のままに。


恥ずかしながら、伊坂幸太郎の作品を読んだのはこれが初めてだ。推理作家の名手と謳われているからとミステリーを期待して読んでみて驚いた。何しろ派手で不可思議な事件は起こらないし、トリックもなければ意外な結末も訪れない。むしろ物語は、見通しの良い道を歩くみたいに平坦な展開を予定調和に進む。頭をひねらなくても連続放火の犯人が春であることも、葛城がかつてのレイプ犯であることも、郷田順子が「夏子さん」であることも容易に予想できる。この作品を連続放火事件を大筋として読むなら、とんだ三文ミステリーだ。けれど、この作品の本質はそこではないのだ。
推理小説を定義づける要素の一つとして、作者と読者の知恵比べがある。つまり、作者の出した問いに読者が答えるというものだ。この一点において、伊坂は強いメッセージを持って私たちに問いかけている。『重力ピエロ』におけるそれは、犯人当てでもトリックを見破ることでもない。「善悪とは何か?」それが、終始一貫して伊坂が私たちに投げかけている謎なのだ。
この問いに解答はない。算数のドリルのようにページをめくれば答えが用意されているわけではない。善悪の実態は曖昧模糊で、性善など利己的なものでしかない。でも、だからこそ、私たちは自分自身にとっての善と悪を持つべきなのだ。神様はいない。いたとしても正答へは導いてくれない、ただ「自分で考えろ!」と怒鳴るばかりだ。
泉水は、春を許した。社会的に、法律的に、道徳的に倫理的に間違っていても、自分だけは許すと決断した。泉水の出した答えは、あなたの性善にとって善だろうか、悪だろうか。

2014年3月16日日曜日

吉本ばなな『キッチン』に見るノンセクシャル



『キッチン』では、それぞれ近しい人の死に直面した若いの男女が、寄り添って喪失を乗り越えながら、同時に自分たちの関係性を見つめ、見出していく物語である。
幼い頃に両親を亡くし、祖母と二人暮らししていた主人公・桜井みかげはその祖母を喪う。天涯孤独となった彼女を拾ったのは、祖母の花屋の客で、同じ大学の田辺雄一だった。
元父である母――整形し、性転換した現母のえり子さんと二人で生活する雄一は、みかげに自分たちの家に住むよう勧める。祖母と暮らした一軒家を出たみかげは、勧めに応じて雄一の家で奇妙で温かい共同生活をするようになる――。


『キッチン』には性描写が一切出てこない。傷ついた年頃の男女が一つ屋根の下で暮らす、という格好のシチュエーションでありながら、みかげと雄一が性的な関係を持つことはないし、そういった素振りを匂わすこともない。
『キッチン』の続きである『満月――キッチン2』でえり子さんの死に直面した雄一がみかげに「ずっとここに住めばいいのに」と零す。みかげは問う。

《「二人で住むのは、女として? 友達としてかしら?」》
 雄一は言う。
《「自分でも、わからない。」
「みかげがぼくの人生にとってなんなのか。ぼく自身これからどう変わっていくのか。今までと、なにがどう違うのか。そういうことのすべてがさっぱりわからない。」》

 年頃の男にしては驚くべき淡白さだ。だが、性描写がないからと言って、この作品が少女漫画のように生々しさを排した潔癖のおとぎ話なわけではない。『キッチン』において「食べること」が性行為の代替表現になっているというのは、しばしば指摘されることである。
人体に空いた孔と、そこに何かを入れる/出す行為は全て性的な意味を持ちうるのだと言う。
という書き方をすると、いやセックスは穴に棒を出し入れするんだからそのまんまだろ、という感じだが、いやいや体の孔は膣だけではない。口もあれば鼻も耳も孔があいている。尻の穴もある。排泄行為に伴う快感は性的快感に繋がっているのだそうだ。そして、「食べること」は、口と言う孔を通して体内に異物を取り込む行為だ。
性行為ってのはつまり、自分の内側に異物(他者)を受け入れたり、受け入れてもらったりすることなのだろう。そういう意味では、セックスにだって様々な形がある。
みかげは雄一の家のキッチンで料理を作り、それを雄一に「食べさせる」。彼らは同じものを食べることで、自分の内側に自分以外の存在を受け入れている。そういうやり方で、みかげと雄一は繋がっているのだ。
 だが、そういう関係性が一般的かと言えばもちろんそうではない。みかげにしても雄一にしても、元々愛情の示し方が普通と違うことについては物語の随所でそれとなく示されている。

《「でも、君の好きとか愛とかも、俺にはよくわかんなかったからなあ。」》
《田辺の彼女は一年間つきあっても田辺のことがさっぱりわかんなくていやになったんだって。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。》

 彼らは恋人同士ではないし、血縁のある家族でもない。男女が同じ家で暮らすことが周りからどう見られるか分かっていても、性的接触を持たない二人はその関係性を正しく表現する術がない。
名前のつかない二人の関係を、周囲もまた理解することができない。
人は自分に理解できないものを恐れる。暗闇、永遠、宇宙、死後の世界。解明されていないもの、説明できないものを恐れ、次にはそれを否定したり、批判したり、自分の知っているものに無理矢理当てはめて理解の範疇に置こうとする。
 雄一に恋心を抱く奥野と名乗る女性は、みかげの職場に押しかけてまくしたてる。

《「だって、おかしいと思いませんか。みかげさんは恋人ではないとか言って、平気で部屋に訪ねたり、泊まったり、わがまま放題でしょう。」
「私は田辺くんに気落ちを打ち明けたことがあります。その時、田辺くんは、みかげがなあ……って言いました。恋人なの? って私が聞いたら、いや、って首を傾げて、ちょっと保留にしてくれって言いました。」
「みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって、だから田辺くんはとても中途半端な人になっちゃうんです。」》

 恋人と言う枠に嵌まろうとしない二人を、奥野は感情的に非難する。そんなのは普通じゃない、普通じゃないあなたは間違っていると、彼女は逸脱した存在を認めない。
 一方でえり子さんの経営していたゲイバーの店員・ちかちゃんは、見当違いにみかげの背中を押してくる。

《「あんた、あれは愛じゃない? そうよ、絶対に愛よ。ねえ、あたし、雄ちゃんの泊まってる宿の場所も電話もわかってるからさあ、みかげ、追っかけてってさあ、やっちゃえ!」
「こういう時、女がしてあげられることなんてたったひとつよ」》

 ちかちゃんの頭の中には、愛し合う男女がセックスしない可能性なんてかけらも存在しない。身体を重ねることが、絶対で最強の愛情のツールだと信じて疑わないのだ。
 分からないものは怖い。その「怖いもの」と折り合いをつけるために、人は過剰に否定したり分かったふりをしたする。それは一種の防衛本能のようなものかもしれない。
 けれど、それでは分からないものは一生分からないままだ。


 セクシャルマイノリティの一つに、ノンセクシャルというのがある。
 恋愛感情を持ち、性欲がある場合もあり、しかし他者との性的行為は一切望まない人々を指す。みかげと雄一の関係には、このノンセクシャルに通じるものがある。
 惹かれあう若い男女が一緒に暮らしているのにその間に性的接触が全くないのは、傍からすると不自然だ。だけどノンセクシャル的な視点からすると、愛情の表現にそもそもセックスは必要がない。雄一とみかげを繋ぐものも、そういう形をしているんじゃないか。
『キッチン』がセクシャルマイノリティーをテーマとした社会的小説だなんて言うつもりはない。
 ただ、普通じゃない、理解しがたい種類の愛情がこの世には確かに存在するんだということがこの作品の重要なメッセージになっていることは間違いない。それが『満月』の以下の箇所に集約されている。

《……私と雄一は、時折漆黒の闇の中で細いはしごの高みに登りつめて、一緒に地獄のカマをのぞき込むことがある。目まいがするほどの熱気を顔に受けて、真っ赤に泡立つ火の海が煮えたぎっているのを見つめる。となりにいるのは確かに、この世の誰よりも近い、かけがいのない友達なのに、二人は手をつながない。どんなに心細くても自分の足で立とうとする性質を持つ。でも私は、彼のこうこうと火に照らされた不安な横顔をみて、もしかしたらこれこそが本当のことかもしれない、といつも思う。》


 自宅のある東京から遠く離れた地でものすごくおいしいカツ丼に出会ったみかげは、夜中にタクシーを飛ばしてそれを雄一の元へ届ける。そうやって、やっぱり二人は同じものを「食べ」、そのおいしさを、時間を空間を共有する。
物語の終わり、二人は東京で再会の約束をする。みかげの信じる「本当のこと」は、やっぱり社会から認められないし、受け入れられないだろう。彼らはこれからも否定されたり分かったふりをされたりしながら生きねばならないだろう。だけど二人を、理解されない愛に生きるすべての人々を、えり子さんの言葉が優しくまるごと包むのだ。

《「情緒もめちゃくちゃだし、人間関係にも妙にクールでね、いろいろちゃんとしてないけど……やさしい子にしたくてね、そこだけは必死に育てたの。あの子は、やさしい子なのよ」
「ええ、わかります。」
「あなたもやさしい子ね」》

2014年2月11日火曜日

融雪の街



雪の街を歩くと、いつもと違うものが見える。
20年ぶりの東京の大雪の翌日は一転して小さな春のように温かく、降り積もった雪はあっという間に滴になった。屋根に積もった雪だけがまだ布団のようにふかふかで綺麗だけれど、端に寄せられ、踏まれて茶色くなった道路の雪には人間の生活の匂いがする。ここに住む誰かが雪かきをして、ここで歩く誰かが轍を広げていったのだ。道の端に寄せられた薄汚れた雪の小山が、人々の暮らしの証だ。
街を歩いていたら、駐車場で小さなショベルカーに親子が乗っていた。男の人がショベルカーを操作して雪山を上ると、足の間に座った娘が声を上げて笑った。
交通機関の遅れや、事故や怪我や、雪かきの必要や様々な影響を及ぼした1年に1度振るか降らない
かの雪は、それでも東京に幸せをもたらしていた。

*

 積雪の上を歩くとき、いつもよりも注意深くなる。
 雪の少ないところ、溶けて水たまりになっているところ、踏み固められて滑りやすそうなところ。歩きやすいところを一歩一歩と進むと、ざくざく、しゃりしゃりという音がついてくる。
道の端に積もった雪に触れると、はっとするほど柔らかい。そのまま握りしめると途端に存在を主張して、固い雪の塊になる。そこでやっとその冷たさが柔らかい手の内側に染みだしてくる。
そうしてやっと私は「雪」というものを思い出す。白くて冷たくて儚くて、そう形容される理由を思い知る。自分の身体で直接感じて初めてわかることだ。身体性。
有名な茨木のり子の『自分の感受性くらい』という詩の最後の一節が思い浮かぶ。

『自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ』 

 そのフレーズが心に浮かぶたびに、どうすれば感受性を守れるのだろう、と考える。
 私たちは放っておいても大人になって、様々なことを経験して、嫌なことをやり過ごす術を覚えてゆく。心の表皮は固くなる一方で、子どもの頃の宝物は輝きをなくしたゴミに成り下がる。それは正常な変化だ。その流れに逆らって生きるのは難しい。心を開いて、直面するあらゆるものに傷つけられながら生きるのはあまりに苦しい。それは社会にそぐう生き方ではない。
 自分の心を守りたい。けれど守れば繊細さとは遠くなる。感受性とはどこから生まれるのだろう。心はどこにあるのだろう。

*

先日、脳科学者の池谷裕二氏の講演を聴く機会があった。講演は、「心はどこにあるのか?」という問いかけから始まった。
かつて、心(heart)は心臓(heart)にあると考えられていた。その後には、心は脳であるという説が広がった。今は違う。心は体にあるのだそうだ。
脳は、頭蓋骨の中で世界から隔絶されている。自身では感じられないから、脳は常に身体をモニタリングして感情を決定する。私たちは楽しいから笑うのではなく、口角が上がるから楽しくなる。眠いから寝るのではなく、横になって目を閉じるから眠るのだ。心は体から始まるのだ、脳ではない。現在の科学の常識だという。

*

 心は体から始まる。ならば、手袋を外して直接雪に触れることは、心を動かす第一歩ではないか。雨の温度、川に吹く風の強さ、イヤホンを外すと聞こえる話し声やエンジンを吹かす音。雪を「白くて冷たくて儚いもの」で終わらせず、身体を駆使してそれを感じることが、感受性を耕すことにつながるのではないか。
 融雪の街を歩きながら、そんなことを考えた。