2015年5月10日日曜日

安全な部屋


焦っている。

やりたいこと、なりたいものと、そのためにしなければならないことが無限にある。しかしそこに費やす時間は余りに少ない。会社員だから週5日は労働で拘束される。通勤時間、昼休み、アイデアは次々と思い浮かぶけれど、腰を据えて取り組む余裕はない。だけど家に帰ってきて夕飯を食べると、まだ大した時間でもないのに横になってそのまま寝てしまう。予定のない休日には際限なく布団にくるまってうとうとしながら携帯をいじっている。仕事よりは好きな文章を書く方が当然楽しいけれど、それよりもごろごろ寝ている方がずっと楽だからだ。テスト勉強をするはずが部屋の掃除を始めてしまう学生と同じだ。怠惰で、集中力がない。尻叩きになるかもと壁に貼った「1日執筆1時間以上! やる前に寝ない!」と書いた紙がむなしい。

どうしてもっと頑張れないのだろう。本気なら寝る間も惜しんで文章を書けるはずだ。会社だって辞めればいいし、もっとボロい家に住んで新しい服なんか買わないで外食もしないでひたすら書いていくことだってできるのに、なぜそれができないんだろう。自分は本気じゃないのかもしれない、と思うことが苦しい。人生ってやつは、やりたいことをするには短すぎるけれど、それを諦めて生きるには長すぎる。


ラーメン屋で隣の席に、4、50がらみの夫婦が座った。

「○○さんちは子どもが2人とも就職して家出たんだって」
「へえ、人生あがりじゃないか」
 あがりってなによと妻は不満そうに訊いていたけれど、私には夫の言った意味がよくわかった。
 結婚して子どもを生み、育て、独り立ちさせたのだ。少なくともこの国の価値観において負うべき責務は一通り終えているように思える。もちろんその先も生活は続くにせよ、義務は既に果たしている。人生あがり、だ。
 今私の目指しているものは、そういう責務からは真逆にある。思いっきり逆走しながら、この道の「あがり」はどこにあるんだろうと思う。仮に結婚もしない、子どもも生まないとして、どこまで走れば、何を残せば私の人生は「これであがり」と認めてもらえるんだろう。

 この期に及んで「本気を出さない」ことで保険をかける自分が嫌だ。普通のベクトルに戻せるような打算を捨てられない自分が嫌だ。
 私だって負け戦がしたいわけじゃない。自分の書いたものが面白いって信じているから、夢が叶う可能性があると思っているから、そう思える限り突っ走りたい。だけどもしそんな可能性ないんならこの人生なんて明日にでも終わってほしい。毎日毎日焦りながら、自分の怠惰を見せつけられながら生きていくのは結構しんどい。命は短すぎるし、長すぎる。
 ゴールデンウィークにこじらせた風邪がなかなか治らない。薬を飲んで、月曜日からまた会社へ行く。
 私はまだこの安全な部屋から出られない。


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