2015年2月11日水曜日

女子校の男役

 私は中学高校と女子校に通っていた。
当然同級生には見たわす限り女しかいないわけだが、その中に「男役」をやる子が何人かいた。
男役ってなんだよって、うまく説明できないのだが、例えば、クラスメイトのことをかわいいかわいいとやたら褒めたり、過剰に女の子扱いしてエスコートしたり、あるいはおちゃらけたキャラクターで「ネタにされてもいい」「いじってもいい」という、たぶん共学だったら男の子がついていたんであろうポジションに納まっている子がいたのだ。そういう子は、全部がそうというわけじゃないけれど、大概背が高かったりほかより体格が良かったり、髪が極端に短かったりした。
 
勘違いをしてほしくないのだけど、あれはボーイッシュとか男勝りとかいう生来の気質とは全然別のものだった。彼女たちは一様に、そういう男役を「演じていた」。
私は同い年の女の子をちやほやしてあげるなんて絶対嫌だったし、逆にもてはやされるのも居心地が悪かったからその行動は全然理解できなかったけれど、あえて言うならあれはサービス精神だったのだと思う。女しかいない環境で、女の子を女の子扱いしてあげる役割を自ら買って出てくれていたのだ。 


高校を卒業して、私を含め同級生は大概みんな大学に進学した。女子大じゃない限り、そこには当然男がいる。今まで何も考えていなかったのが「男の目」というものを急に意識しだして、私たちは慌てて化粧を覚えたり洋服に気を使うようになって、四苦八苦しながら色気づく
「男役」を演じていた子たちも、本物の男が出現したことによってその役割から解放される。○○に彼氏ができたらしいよ、ラブラブらしいよ、なんて話を風の噂に聞くと、なんか不思議なような、おかしいような気持ちになる。なんだよ、やっぱただの女の子だったんじゃん。

 Facebookというのは恐ろしいツールだと思う。ひとたび「友達になる」を押してしまうと簡単には外すことができない。コミュニティが変わっても、方向性が遠く離れても、タイムラインに上がればその人の今が見える。
同級生たちの中で大きな変貌を遂げる人がいないわけではないけれど、だいたいみんなそんなには変わっていなくて、高校生のときの延長線上にいるのがわかる。
そういう中で、かつて「男役」だった子がめちゃくちゃ女らしくなっているのを見ると、ちょっとなんか、びっくりする。髪を巻いて、ふんわりした素材の服を着て、一番かわいい「完璧な角度」で映っている写真を見ると怖くなる。
平等に年を取っているから個人差はあれみんな少しずつ女らしくなっていくけれど、彼女たちにはそういう自然の変化だけじゃなくて、かつて「男役」だった反動みたいなものが加わっているように見えるのだ。
それを見ると、私はいつもよくわからないもどかしい感情に囚われる。そういう服着たいんじゃん。かわいいもの好きなんじゃん。女の子扱いされたかったんじゃん。それなら、高校生のあの時だってそれでよかったのに。


どうしてあのころ、「みんなで女の子」でいられなかったのだろう。男役なんていなくたってどうにでもなったはずなのに。それともそう思っていただけで、私たちは無意識に「男役」を必要としていたのだろうか。自分が「女の子」でいるために誰かを犠牲にしていたのだろうか。責任感の強い人がいつでも貧乏くじを引かされるみたいに、彼女たちに「男役」を強要していたのだろうか。あれは本当に、彼女たちのサービス精神だったんだろうか。

 彼女たちのかわいさが、私には復讐みたいに見える。そんなの勝手な想像で、思い込みで、たぶんこういう風に思われることこそ彼女たちが一番嫌がることなんだろうけど、私はとても怖い。
 本当は「女の子」しかいなかったあの場所で、「男役」を生み出させた見えない怪物の存在が。それが、もしかしたら自分だったかもしれないことが。

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