また、来年の手帳を選ばなければならない季節がやってきた。
書店や雑貨屋に入って、見慣れない西暦のカレンダーや手帳がずらりと並んでいるのに気づく。なんかちょっと、忘れていた仕事を見つけてしまったようで気が重くなる。どうしてか、手帳を選ぶことは私にとって気が進まない作業だ。
私は洋服が好きだ。買う気はなくとも服を売っている店があればとりあえず一通り見て、何が流行っているのかを確認し、自分が今どんな服が欲しいのか頭の中のイメージを具体的なものにしていく。手に入らなくたって、きれいなものたくさん見て自分をアップデートする行為には充実感がある。だから、カラフルで趣向を凝らした手帳をいくつも手に取ってあれこれ検分するのだってもちろん楽しい。楽しいのだけど、手帳を選ぶのは服を選ぶのとは比べ物にならないほどのエネルギーを要求される気がする。
洋服は毎日着替えるし、その日1日着るだけと思えば多少機能性には目を瞑ってデザインを優先させることもできる。足が痛くなったってかわいい靴を履く日があってもいい。だけど手帳はそうはいかない。手帳はほとんど毎日、しかもまるまる1年もの間持ち歩くものだからだ。機能性だけでも駄目だし、デザイン性だけでも駄目だ。1年間の一蓮托生の相方だ。基本的には1年に1冊しか持たない手帳は、その人のセンスが集約されている気がする。とか考え始めるともう既に話が壮大になってきて、わくわくするより先にため息が出てしまう。
*
こういう手帳が欲しいというイメージはある。
デザインの面で言えば、ぱっと目を引く鮮やかな色で柄は大きめで個性的なもの、細長過ぎず正方形過ぎず、手に馴染むそこそこの厚みがあり、なおかつ高級感のあるもの。まちがってもあのださくて安っぽい透明カバーなどに覆われていてはいけない。
機能性についてなら、まずペンホルダーがついていること。マンスリーとウィークリーのページがほしくて、デイリーはいらない。路線図が大きめに入っていてメモ部分が多め。ページが柔らかく開き、のどの部分にも書き込みしやすいもの
以上すべてを満たすもの。あと、しおり紐は2本あるとさらによい。
てな感じでこだわりはある。ありすぎるほどにある。ありすぎてうんざりしてしまう。「これだけの条件に当てはまる人を探し出さなきゃいけないの?」とか言って、結婚相手に求める条件を全部並べて、現実との乖離にげんなりする婚活女みたいな感じで。
だからといって適当なもので妥協するのは絶対に嫌だ。私は、気に入った傘が全然見つからなくて、でも100%好きと言えない傘を持つのが嫌で、ここ5年ほど薄汚いビニール傘を使い続けている女である。手帳だって中途半端なものを持つくらいだったらミスドのスケジュールンでええわ! と逆切れしそうになる。
ちなみに調べてみたのだが、現在のシステムだとミスドのスケジュールンを手に入れるには300円で1枚貰えるカードを8枚集める必要があり、単純計算で2400円かかり、下手な手帳よりよっぽど高かった。
*
後輩に文房具が好きな子がいて、ツイッターなんかで時々新しい文房具のことをツイートする。それを見て、咲く花が変わるのを見て季節が変わるのを感じるように、今はこういうのがあるんだなあとか、進化してるんだなあと知る。彼女は私にとって、文房具界に開く窓みたいなものだ。
そんな彼女はもちろん手帳についても並々ならぬこだわりがあり、毎年私には及びもつかない時期から来年の手帳の検討を開始する。自分が欲しいものを明確にし、情報を集め、検討を重ねて選択肢を絞り込んでいく。その情熱は、ツイッター越しにも伝わってくる。ああ、なるほどと思った。
私も手帳にこだわりはある。でも情熱がない。窓から見える素敵な文房具や雑貨に時々目を奪われるけど、部屋の中にはそれよりもっと好きなことややりたいことが山積みになっていて、それ以外にエネルギーを傾けている暇がないんだ。
本当に求めている手帳ならわざわざ探しに行かなくたって、古い少女漫画で食パンくわえたヒロインが曲がり角で王子様と出会うみたいに、私の前に現れるだろう。そんな感じで運命って言葉に都合よく押しつけて、今年も私は手帳を探さない。
0 件のコメント:
コメントを投稿