あなたの人生の一冊はなんですか。
と、もしそう質問されたら、迷うことなく「村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』です」と答えるだろう。
中学生にはなっていなかったと思う、11歳か12歳のとき私は実家の本棚にあった不思議なタイトルのその本を手に取った。講談社の、黄色い背表紙の文庫本だ。
まるで一枚の上等な絹の上に手を滑らせているように、その本の文章はするすると心地よく私の中に入ってきた。初めから終わりまでどこをとっても引っ掛かりのない、根気と研ぎ澄ましたセンスによって織り上げられた、それは緻密で繊細な世界だった。それまで私が年相応に読んでいた青い鳥文庫や岩波少年文庫よりも、一枚の挿絵もない、行儀のよい虫のように文字だけがびっしりと並んだその本の中の世界の方が圧倒的に豊かだった。言葉には、絵や音を凌駕して表現する力があるということを、驚愕とともに知った。その時から、私は言葉の国の住人だ。
*
「踊るんだよ」
『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、羊男という人物が主人公にこう語るシーンがある。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなことは考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう」
「あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
*
何かに躓いたとき、嫌になったとき、諦めようとするとき、心の中の暗がりから羊男が現れて、「踊り続けるんだよ」と言う。そうすると私は、「ああそうだ、踊り続けなくちゃいけないんだった」と思い出す。下手でも笑われても、あるいは誰もこっちを見ていなくたって、とにかく踊りつづけなければいけないんだと。そうして、羊男の言葉に蹴飛ばされて、停まりそうになった足をもつれさせながら、私はなんとか次のステップを踏む。
足を切り落とされてしまった赤いくつの少女は、それだけでは残酷で不条理な物語だ。葬式に赤いくつを履いていっただけで足を切られるなんて代償が大きすぎる。けれど、羊男の言葉と共に考えるとき、私は不思議な感慨を抱く。彼女の足は、足だけになっても踊り続けたのだということに。そして、足を切られてでも踊り続けなければならないときが、人生の中にはあるのかもしれない、と思う。
これから先、また何度でも躓いて、何もかも放り出したくなるときが来ると思うけれど、その度に私は羊男の言葉を思い出すだろう。
その言葉が、私にはダブってこう聞こえるのだ。
生きるんだよ、生き続けるんだよ、と。
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