2014年12月22日月曜日

冬の巣立ち2

    天気予報の通り、朝から空は不穏で憂鬱な灰色だった。午前中から時折、思い出したようにぽたりぽたりと雫が落ちた。車の後部座席で私は、まばらな雨粒が窓ガラスを汚すのを見ていた。
    引越し業者は使わなかった。10箱の段ボールと姿見と古いラジカセと私と両親を乗せて、車は東京を横断する。首都高を走る途中、脇を通り過ぎた渋谷のヒカリエを見て、みんなで不格好だと言い合った。
    乗用車の前と後ろの席の間には意外と距離がある。1度後ろから声をかけたら、聞こえなかったようで2人は別の話をし続けた。私はむっとしながら、同時に2人で話しているのを見て安堵する。先日読んだ少年アヤちゃんのブログを思い出していた。もうすぐ、あの家からは子どもがいなくなる。


    自宅から新居のマンションまではたったの1時間で、あっけないほどだった。荷物を部屋に運び入れた時には昼を回っていたので、私たちはファミレスへ行った。
「折角だからデザートまで食べちゃおう」と言って、母と二人で妙にはしゃぎながらパフェやパンケーキの載ったページを研究したけれど、ハンバーグだけでお腹がいっぱいになってしまって、結局デザートは頼まなかった。
    会計は父がした。私は「ありがとう」もごちそうさま」も言わなかった。子どもの頃、家族で外食に行ったときそんなことを言ったことはないし、言おうと思ったこともない。この人たちは、私に少しでも長く子どもでいてほしいのだろうなと思ったら、何も言わないほうがいい気がした。
    両親だけでなく誰に対しても、私はこうやって口を噤むことがある。言うべきこととそうでないこと。言うべき人とそうでない人。その区分を見極めようとして、私の反応はいつも鈍る。私はたぶん考えすぎだし、感傷的すぎる。


    段ボールに入っているのは服と本と漫画とCD、後は日用品が少しあるだけだった。家具家電の類はほとんどなかったが、なによりもまずカーテンと照明が必要だった。私たちは最寄りのニトリでカーテンと照明を買い、手分けして取り付けをした。買ってきた踏み台は高さが足りず、カーテンフックをかけるのもひと苦労だった。
    最低限、部屋が人の住める空間になり、3つの電球のうち1つが不良品であることを発見した頃には、外はすっかり暗くなっていた。家には犬がいて、散歩と餌やりをしなければならないから、両親はもう帰らねばならなかった。

    車に乗る2人を見送った後、私は1人で駅へ向かい、周辺をぐるぐる歩き回ってスーパーやドラッグストアの場所を確認した。
    雨は1番激しくなっていて、大粒の雫が足元をうねって流れていく中を、私は2リットルのペットボトルとシャンプーのボトルの入ったビニール袋を傘と一緒に抱えながら歩いた。
    なんだか泣きたいような気がしたし、泣いてもいいような気がしたけれど、やっぱり癪だったので泣かないことにした。
    誰もいない殺風景な部屋に戻って私が最初にしたことは、銀色の古いラジカセでラジオをつけることだった。

2014年12月15日月曜日

冬の巣立ち

引っ越し用の段ボールをもらいに近所のスーパーマーケットへ行った。
投票の帰り、揚々と自転車をスーパーまで走らせ、店員のおっちゃんに「引っ越しに使うんですよー」などと言いながら、段ボールを頂く許可をもらう。店の裏手へまわり、大きさごとに分けられた段ボールの山から適当なものを5つほど見繕う。そこまで来て、ようやくこの段ボールを運搬する方法について何も考えていなかったことに気づく。
段ボールというのは、箱型にすればものを運べ、潰せば平べったくなり省スペースという優れものだが、段ボールそのものを大量に運ぶとなると恐ろしく厄介な代物だ。平面にするとかなり大きいし、持つところがない上につるつると滑りやすいし、その上結構重い。実際に5枚重ねてみて、自転車のかごに乗せて押さえておけばいいのでは、という考えの浅はかさに気づく。
スーパーを訪れる客や駐車場を整備する警備員の視線に晒されながら思案した結果、大きめの1つを箱に成形し、その中に残りを無理矢理折り曲げて押し込んだ。値段だけで決めた買い換えたばかりの自転車に荷台がついていたことに初めて感謝しながら、重い紙の箱をそこへ乗せた。


私は背が低い。痩せていて、見るからに力も、体力もない。おまけに怠惰で甘ったれなので、見かねた人が手を貸してくれることがある。あぶなっかしい上に要領悪く見えるのだろう。そうやって助けてもらえることはとても幸運だし、ありがたいことなのだけど、反面、別に1人でもできるのに、と思うことがある。
背の低い人間は、あの手この手で高い所にあるものを取る術を知っている。確かに背の高い人に頼んだ方が早いかもしれないけれど、でも、取れるのだ。仮に取れなかったとしても、別のもので代替して乗り切ることだってできる。だから放っておいてほしいと思う。まるっきり背伸びする子どもの理屈だとわかっているけれど、いつまでも子どもではいられないし、いつも誰かが助けてくれる訳じゃない。むしろ助けてもらえる見込みなんて減っていく一方なのだから、背伸びでもなんでもして、自力で乗り越える術を身につけるしかない。どんなにあぶなっかしく、要領が悪かったとしても。

大人になるということがどういうことなのか、どうすればなれるのか今でもよくわからない。だけど、例えばそれが自分のことを自分でできるということだとしたら、私はまだ大人の入り口にも立てていない。いろんなことができなくて、できないままで許される場所にいる。親に庇護されて今でもただの子どもだ。そのことに、静かに焦燥感が募っていく。早く大人になりたい。思春期の子どものように思う。早く大人になって、1人で生きられるようになりたい。


家に戻る途中、一度バランスを崩して段ボールを全部地面にぶちまけた。自転車に乗ったおばあさんが迷惑そうに通り過ぎる。車が1台、器用に段ボールを避けて走っていく。コンクリートに広がった段ボールを拾い集めながら、私は彼らが「大丈夫?」「手伝おうか?」と言わなかったことにほっとしていた。そりゃ、段ボールを運ぶ怪しい女に声なんかかけるはずないことはわかっているけれど、彼らが助けてくれなかったおかげで、私は自分の失敗の始末を自分でつけた。当たり前だ。当たり前の世界で、これから生きていく。
私はもう一度段ボールを荷台に乗せて歩き出した。

来週、16年間暮らした家を出る。

2014年12月9日火曜日

灯台の座標

大人になったら、化粧なんて完璧にできるんだと思っていた。
アイラインもマスカラもばっちりで、毎日鮮やかな口紅を引いて、髪なんかも巻いちゃって、ハイヒールで颯爽と歩くんだと思っていた。
社会人になった今、私は毎朝家を出る30分前に起きる。化粧なんてチークまで入れていれば上出来といったレベルで、当然髪なんて巻けるはずもなく、子どもの頃思い描いた大人のお姉さんとは程遠い格好で電車に乗っている。
思い返してみれば、大人になんてなるまでもなく髪の毛を巻いている子は毎日きちんと巻いていたし、絶対にすっぴんを晒さない子だっていた。高校の修学旅行の部屋で、みんなより1時間も早く起きて、薄暗い部屋で黙々と化粧をしていたクラスメイトがいたのを覚えている。
幼い頃から、身だしなみを整えることよりも11秒でも長く寝ていたかった。あの時から少しも変わらず怠惰な私が、彼女のような「綺麗なお姉さん」になれるはずがない。


大人になることを「階段をのぼる」などと言うけれど、その表現はどうもしっくりこない。順調にステップアップし続けるなら人はどんどん完璧に近づくはずだし、悩みは減る一方のはずだ。それなのに次から次へと悩みの種は発生するし、欲望にも妬みにも底がない。全然上がってない。それよりも、座標を移動する、と言った方が的確だ。人には座標があって、別の座標に移動するためにはエネルギーが要る。例えば今の私は朝起きられなくて、適当な化粧をする座標に立っている。身だしなみのために早起きできる私になるためにはエネルギーが必要だ。そしてエネルギーとは、努力とか意志だったり、する。


就職活動が始まった時、私は自分が何を仕事にしたいのか、どういう大人になりたいのか、具体的なものがまったくなかった。とりあえず、おしゃれだから広告や出版系を受けてみたり、自慢できそうだからとりあえず名前を知っている大手を受けてみたりしては落ちまくった。狂った方位磁針のようにくるくると方向が定まらなくて、わかりやすいものに飛びついては跳ねつけられた。きちんと化粧をし、髪を巻き、ヒールで颯爽と歩く大人の女性にイメージだけで憧れていたのと同じだ。自分が本当にそうなりたいのかは考えなかった。何が悪いのか、どうすればいいのかわからないまま、プライドだけは一人前で、私は現実逃避するように貪るように眠った。努力はしなかった。
幸運なことに、そんなに悪くない会社に拾ってもらって、それはやりたいこととは程遠かったけれど、やっぱり私は嫌なことは考えたくなくて、そこで就職活動を止めた。仕事のことは働きだしてから考えればいいやと思った。

就活が終わってから、私は友達と文学フリマというイベントに参加することになった。それぞれが文学だと思う物を作品にして売る、ものすごく小規模なコミケみたいなものだ。11つ作品を書いて、それをまとめて本を出すことになった。
私はパソコンを持ち歩き、図書館やカフェや家で、卒論と交互に小説を書いた。書きながら思い出した。幼稚園の時から小説家になりたかったこと。聞かれなかったから答えなかったけど、私の夢はそこから1度も変わっていないこと。本当は思い出したんじゃない。忘れてなんかいない。余りにも遠くて、考えるのがつらいので、私は眠って、それを考えないようにしていただけなのだ。だけどパソコンのフォルダを開いてみれば、途切れながらもいつも文章を書いていた痕跡があった。私の座標は、あの頃から全然動いていなかった。
それがわかったとき、解放されたような気がした。自分が変わっていないことを知るために、それまでの人生を費やしたようだと思った。でもそれでもいいと思った。私はやっと、自分がどこに立っているのかを知ったのだ。夢は相変わらず遠い。以前よりもっと遠いかもしれない。でも、陸の灯台の灯りのように、夜中でも、嵐に荒れた中でも私はその光を見ることができる。どれだけ遠くても、どちらへ向かえばいいかはっきりわかっている。私が迷うことはもうない。



あの修学旅行の日、人がいると眠りの浅くなる私は、ほんのりとカーテン越しに朝日の入る黄土色の室内で、布団に入ったまま化粧をする彼女の後ろ姿をずっと眺めていた。化粧なんてろくにしたことのなかった私には、どうして化粧にそんなに時間がかかるのかわからなかった。今、落ち着いて化粧するときでさえ、彼女ほど時間がかかることはない。それでも私はずっと、彼女の背中から目を離せない。誰に自慢することもなく、認めてもらおうとするでもなく、ただ黙々と自分の目指す座標に向かう姿は美しかったと思う。

2014年11月30日日曜日

ダンス・ダンス・アンド・ダンス

あなたの人生の一冊はなんですか。
と、もしそう質問されたら、迷うことなく「村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』です」と答えるだろう。
中学生にはなっていなかったと思う、11歳か12歳のとき私は実家の本棚にあった不思議なタイトルのその本を手に取った。講談社の、黄色い背表紙の文庫本だ。
まるで一枚の上等な絹の上に手を滑らせているように、その本の文章はするすると心地よく私の中に入ってきた。初めから終わりまでどこをとっても引っ掛かりのない、根気と研ぎ澄ましたセンスによって織り上げられた、それは緻密で繊細な世界だった。それまで私が年相応に読んでいた青い鳥文庫や岩波少年文庫よりも、一枚の挿絵もない、行儀のよい虫のように文字だけがびっしりと並んだその本の中の世界の方が圧倒的に豊かだった。言葉には、絵や音を凌駕して表現する力があるということを、驚愕とともに知った。その時から、私は言葉の国の住人だ。


「踊るんだよ」

『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、羊男という人物が主人公にこう語るシーンがある。

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなことは考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう」

「あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」

「でも踊るしかないんだよ」

「だから踊るんだよ。音楽の続く限り」


 何かに躓いたとき、嫌になったとき、諦めようとするとき、心の中の暗がりから羊男が現れて、「踊り続けるんだよ」と言う。そうすると私は、「ああそうだ、踊り続けなくちゃいけないんだった」と思い出す。下手でも笑われても、あるいは誰もこっちを見ていなくたって、とにかく踊りつづけなければいけないんだと。そうして、羊男の言葉に蹴飛ばされて、停まりそうになった足をもつれさせながら、私はなんとか次のステップを踏む。

 足を切り落とされてしまった赤いくつの少女は、それだけでは残酷で不条理な物語だ。葬式に赤いくつを履いていっただけで足を切られるなんて代償が大きすぎる。けれど、羊男の言葉と共に考えるとき、私は不思議な感慨を抱く。彼女の足は、足だけになっても踊り続けたのだということに。そして、足を切られてでも踊り続けなければならないときが、人生の中にはあるのかもしれない、と思う。

 これから先、また何度でも躓いて、何もかも放り出したくなるときが来ると思うけれど、その度に私は羊男の言葉を思い出すだろう。
「踊るんだよ、踊り続けるんだよ」
 その言葉が、私にはダブってこう聞こえるのだ。

生きるんだよ、生き続けるんだよ、と。

2014年11月24日月曜日

ぼくとあたしと私たち

 小学校に上がるくらいまで、自分のことを「ぼく」と呼んでいた。
 自分のことを男だと思っていたわけでもないし、何に影響を受けたんだか受けていないんだかも定かでないけれど、物心ついた最初の時の一人称は「ぼく」だった。
 親に注意されたような気もするし、自分でもおかしいと思ったのかもしれない。当時周りの女の子たちは自分のことを「うち」と呼んでいたから、私も呼び方を「うち」へと矯正した。私は普通になって、みんなと同じようになって、それから自分のことをなんて呼ぶかなんて気にしなくなった。

 中学生のころ、今度は一人称が「うち」なのはダサいという感覚が急激に広がった。いかした女の子は「うちさあ」なんて田舎者みたいなことは言わない。「あたし」と言うのだ。
「うち」はダサいから使いたくない、だけど散々「うちがうちが」と言い合ってきた友達の前で急に呼び方を直すのは恥ずかしい。呼び方を変えるタイミングがはかれずに悶々と過ごしていると、それまでは気にしたこともなかったのに、そう言えばこの子は最初からあたしって言ってるなとか、こいつこないだまで「うち」だったくせに直しやがった、とかいうことがやたら気になってくる。仲の良かった友達が、ある日しれっと「あたしはさ、」なんて言い出すと、「抜け駆けしやがったな」と「やるなこいつ」というのがないまぜになって複雑な気分だった。とはいえ、もたもたしているとどんどん取り残されてしまう。葛藤を乗り越えて、私もどうにか「あたし」に進化した。

 勝手に命名するけれど、こういう「人称パラダイムシフト」は誰しも一度や二度経験があるはずだ。例えば男の子が「ぼく」を「俺」に変えるとか。「ママ」を「お母さん」にするとか。あだ名じゃなくて友達同士名前で呼び合うことに憧れて呼び捨てにしてみたりとか。初めてその呼び名を使った時の違和感がものすごかったこととか、気をつけてたのについうっかり「うちがさー」って言っちゃったときのいたたまれなさとか、思い出すだけで痒くなってくるような経験が。

 今の自分が嫌で、憧れとか、なりたい自分がいっぱいあったのだと思う。だけど、どうやったらなれるのかがわからなくて、とりあえず形から入って、新しい自分になったことにした。はじめてそれを使った時からどれだけ経ったのか、今の私は我が物顔で「あたし」と言う。だけど、その度に内側から笑われる。全然さまになってないよ、それ。
実際、「あたし」と言う時、私はいつも少し嘘をついている気がする。口から出る言葉が、自分の本心から薄皮一枚二枚離れているのを感じる。さまになっていないのだ。全然、自分のものになっていない。
 みんなと違うのはおかしいと「ぼく」から「うち」になり、格好つけたくて「うち」から「あたし」になった。それまでの自分はなかったことにしてきた。だけど本当はなくなってなんかいない。心の中で本音を言う時に出てくるのは、今でも「ぼく」だ。結局、それが私の本質に一番近いのかもしれない。


 私は良識ある大人だし、三次元のぼくっ娘がイタいこともわかっているから、「自分らしく生きるために今日から一人称をぼくにします!」なんてことはしない。今さら「ぼく」と言うのもそれはそれで違和感があるし。
 代わりに、イタくて恥ずかしくて死んだことにした「ぼく」の棺桶のふたを、ちょっと開けてみる。そこには、取り繕わない子どもの私が寝ころがっていてこっちを見ている。全然死んでない。
 私は「ぼく」にこっそりお願いする。
「今さらそっちにも戻れないけど、「あたし」が言えないことがあるときは、またよろしく」

 そっと戸を閉めたとき、それはもう棺桶ではない。

2014年11月12日水曜日

今夜は帰らない

 学生のころ、飲み会が終電前の微妙な時間に終わった時、必ず誰かが「これからどうする?」と言った。もう1軒どこかへ行ってそのままオールするか、ここで切り上げて帰るか、という意味だ。いつも同じようなメンバーでつるんでいて、その中でいつも残るメンツというのも大体決まっていた。私は帰らない人だった。ある時期には、帰らなすぎて親にめちゃくちゃ怒られたこともあるほど。
 今振り返ると、1番頭悪くて、1番楽しかった時期であるような気がする。私は冴えない地味な女子高生だったので、友達や先輩と毎日のように遊び暮らす日々は余りに楽しくて、楽しすぎて、現実じゃないみたいだった。高校生の頃には想像もできなかった未来だ。こんなに楽しい中に自分が加わっていることが不思議なくらいだった。
 だからかもしれない。「これからどうする?」と聞かれた時、私はどうしても「今日は帰る」と言えなかった。アルコールの力を借りた夢心地から離脱してしまうのが名残惜しかったのももちろんあるけれど、ここで帰ってしまったら、リセットされて自分の居場所もなくなってしまうような不安がどこかにあって、自分からは帰ることを選べなかったのだと思う。だから、正確に言うなら、帰らないのではなく帰れなかったのかもしれない。

 帰らない人が決まっているように、帰る人もだいたい決まっていた。そういう人は、今日は帰ると決めた日には、誰がどうやって引き留めても首を縦に振らなかった。まだ明るい駅の改札に吸い込まれていく背中を見るたびに、置いて行かれたような、裏切られたような気分になった。そうして、自分の意志でここから出ていける彼らにいつもひっそりと憧れた。

 オール明けの朝には化粧も落ち切ってひび割れたしゃがれ声しか出なくて、頭は脳みその代わりに石でも詰められたかのように重く働かず、麻薬の切れた中毒者のような有様で始発に乗る。電車に乗ってしまえば、いずれは1人だ。白けるような朝焼けの街が通り過ぎるのを、まぶたの落ちそうな乾いた目でぼんやり眺めて、そこまで来て毎回思い知らされる。朝まで残ったって、結局は寂しいんじゃないか。


 先輩の新婚のお宅にお呼ばれした。みんなで信じられないほど飲んで笑って、あっという間に時間が過ぎた。「終電で帰ります」と言うと、泊まって行けばいいのに、と言われた。何人かの人は最初から泊まる予定であったらしい。
 ものすごく名残惜しかったけれど、泊まりの道具も持っていないし、オールの翌日は昼まで寝てしまってなにもできなくなるからと辞退した。その時は言わなかったけれどもう1つ理由があって、その日私は、自分で帰ると決めてちゃんと帰るというのを実行したかったのだ。

 泊まり組に手を振って、1人夜中のホームに立つ。ベンチに座ったおっさんが、びっくりするほどでかいくしゃみを何度も繰り返す。終電に乗り込むと、中の空気は重力がきつくなったかのように重苦しく、ぽつりぽつりと座る乗客は眠ったり、携帯を弄ったりしながら終点を目指す。
 ネオンも消えた街を明るい箱に乗って進む。私は微かに酔いながら、残った人達のことを考える。今頃、さっきのウノの続きでもやっているだろうか。もう何時間かすれば、きっと真夜中にしかできない話が始まるだろう。残ればよかったな、と考えないようにしていたことがよぎる。私も聞きたいことや話したいことがいくらでもあるのに。
 そうして、今さらになって気づく。あの時、誘いを断って帰ったあの人も、たぶんこうやって名残惜しくて寂しかったはずだ。どれだけ楽しくたって、何時に解散したって、最後は自分1人なんだ。なんだかできすぎなくらい示唆的だ。

 帰れるか、帰れないかじゃなく、それを自分で決める人になろう、と思った。そしてそれは、「帰れる」「帰れない」に限ったことではない。なにせこれは示唆的なお話なので。

 そうして帰りの電車に揺られながら決めた。次の機会があったら今度は帰らない。

2014年11月8日土曜日

手帳と情熱

また、来年の手帳を選ばなければならない季節がやってきた。
 
書店や雑貨屋に入って、見慣れない西暦のカレンダーや手帳がずらりと並んでいるのに気づく。なんかちょっと、忘れていた仕事を見つけてしまったようで気が重くなる。どうしてか、手帳を選ぶことは私にとって気が進まない作業だ。
 
 私は洋服が好きだ。買う気はなくとも服を売っている店があればとりあえず一通り見て、何が流行っているのかを確認し、自分が今どんな服が欲しいのか頭の中のイメージを具体的なものにしていく。手に入らなくたって、きれいなものたくさん見て自分をアップデートする行為には充実感がある。だから、カラフルで趣向を凝らした手帳をいくつも手に取ってあれこれ検分するのだってもちろん楽しい。楽しいのだけど、手帳を選ぶのは服を選ぶのとは比べ物にならないほどのエネルギーを要求される気がする。
 洋服は毎日着替えるし、その日1日着るだけと思えば多少機能性には目を瞑ってデザインを優先させることもできる。足が痛くなったってかわいい靴を履く日があってもいい。だけど手帳はそうはいかない。手帳はほとんど毎日、しかもまるまる1年もの間持ち歩くものだからだ。機能性だけでも駄目だし、デザイン性だけでも駄目だ。1年間の一蓮托生の相方だ。基本的には1年に1冊しか持たない手帳は、その人のセンスが集約されている気がする。とか考え始めるともう既に話が壮大になってきて、わくわくするより先にため息が出てしまう。


 こういう手帳が欲しいというイメージはある
 デザインの面で言えば、ぱっと目を引く鮮やかな色で柄は大きめで個性的なもの、細長過ぎず正方形過ぎず、手に馴染むそこそこの厚みがあり、なおかつ高級感のあるもの。まちがってもあのださくて安っぽい透明カバーなどに覆われていてはいけない。
 機能性についてなら、まずペンホルダーがついていること。マンスリーとウィークリーのページがほしくて、デイリーはいらない。路線図が大きめに入っていてメモ部分が多め。ページが柔らかく開き、のどの部分にも書き込みしやすいもの
 以上すべてを満たすもの。あと、しおり紐は2本あるとさらによい。
 てな感じでこだわりはある。ありすぎるほどにある。ありすぎてうんざりしてしまう。「これだけの条件に当てはまる人を探し出さなきゃいけないの?」とか言って、結婚相手に求める条件を全部並べて、現実との乖離にげんなりする婚活女みたいな感じで。
 だからといって適当なもので妥協するのは絶対に嫌だ。私は、気に入った傘が全然見つからなくて、でも100%好きと言えない傘を持つのが嫌で、ここ5年ほど薄汚いビニール傘を使い続けている女である。手帳だって中途半端なものを持つくらいだったらミスドのスケジュールンでええわ! と逆切れしそうになる。
ちなみに調べてみたのだが、現在のシステムだとミスドのスケジュールンを手に入れるには300円で1枚貰えるカードを8枚集める必要があり、単純計算で2400円かかり、下手な手帳よりよっぽど高かった。


 後輩に文房具が好きな子がいて、ツイッターなんかで時々新しい文房具のことをツイートする。それを見て、咲く花が変わるのを見て季節が変わるのを感じるように、今はこういうのがあるんだなあとか、進化してるんだなあと知る。彼女は私にとって、文房具界に開く窓みたいなものだ。
 そんな彼女はもちろん手帳についても並々ならぬこだわりがあり、毎年私には及びもつかない時期から来年の手帳の検討を開始する。自分が欲しいものを明確にし、情報を集め、検討を重ねて選択肢を絞り込んでいく。その情熱は、ツイッター越しにも伝わってくる。ああ、なるほどと思った。
 私も手帳にこだわりはある。でも情熱がない。窓から見える素敵な文房具や雑貨に時々目を奪われるけど、部屋の中にはそれよりもっと好きなことややりたいことが山積みになっていて、それ以外にエネルギーを傾けている暇がないんだ。
 本当に求めている手帳ならわざわざ探しに行かなくたって、古い少女漫画で食パンくわえたヒロインが曲がり角で王子様と出会うみたいに、私の前に現れるだろう。そんな感じで運命って言葉に都合よく押しつけて、今年も私は手帳を探さない。