誰といても気を使われている気がするし、どこにいても仲間に「入れてもらっている」気がする。そういう感覚が、ずっとずっと消えなかった。
いつも爪先立ちで過ごすような気持ちだった。会話の流れを止めたくなかったし、同じタイミングで笑いたかったし、こっそり秘密を打ち明けてもらいたかった。友達になってもらうのではなくて友達になりたかった。だけど、どれもあんまりうまくできなかった。なんとかその場に馴染みたくて、ある時は相手の言うことに全てに賛同してみたり、逆に極端なことばかり言って存在感を示そうとしてみたり、また別の時には向こうから声をかけてもらうまでだんまりだったり、もがくみたいに色んなことを試してきた。でも、それは形の合わないパズルのピースを無理矢理はめ込んでいるようなもので、そんなことを続けてみてもピースが痛むばかりだった。そんなことを続けて、毎日毎日しんどかった。
誰とでも仲良くなれる人がいる。彼らはたぶん大らかな形状をしていて、誰とでもなんとなくうまいこと当てはまることができる。そういう人を秘かに羨みながら、私は余分なピースのような自分を持て余した。うまく当てはまってくれない社会だとか世界だとかに憤ったりもした。そして、一生歪に余ったまま生きなければならないのかと考えてひどく不安だった。狭い教室という世界で友達らしきものに必死でしがみつきながら、いつまでも陸の見えない海で漂流しているような気分だった。
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溺れそうになりながらなんとかやってきて、私は大学に入った。教室の四角い壁はなくなった。そこにはうんと年上の人もいたし、ものすごく面白い人も、私より話すのが下手な人もいた。苦手な人も嫌いな奴もいた。色んな場所に行って、色んなものを見た。相変わらず喋るのは苦手だったし、プライドの高い嘘つきだったし、扱いにくい奴だったと思う。だけどまれに、私のことをおもしろいと気に入ってくれる人がいた。そういう場所で過ごして、私は少しずつ自分で泳ぐことを覚えていったように思う。
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わかったことがある。居場所なんてものは奪ったり誰かに与えてもらうものではないこと。そうして得た椅子が、自分のお尻に合うとは限らないからだ。そして、運命のようにぴたりと噛みあわなくても、誰かと友達になることはできること。
誰かに認められたり、愛されたり、気に入られたり、1番にしてもらう必要なんてない。居場所なんて必要ない。誰とも当てはまらなくたって、私が私の形をしてここに存在していることは変わりない。生きている限り。
そう気づいてから、生きるのは唐突に簡単になった。
今日もぷかぷか泳ぐ。
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