2016年2月15日月曜日

エモいなんて言いたくない

大学時代の友達と後輩と食事をするのに近くまで行ったので、母校の方まで行ってみた。
立春を過ぎたばかりのその日は異常に暖かく、昨日までと同じつもりで選んだ冬のコートを着ていると汗ばむほどだった。
大学に近づくにつれ、景色が次第に見慣れたものになっていく。並んで歩く後輩が「大学生の自分が歩いてきそうな気がする」と言う。その隣で私も、一歩進むごとに時間が巻き戻っていくような錯覚をしていた。
折しも受験期間の真っ最中で、キャンパスの正門には「○○学部入学試験」と書かれた看板が立っていた。春を感じさせる陽気も相まって、こっちまで何かが始まるような、何かが変わるような、そわそわと落ち着かない気分にさせられた。
駅までの道のりを歩きながら私たちは、あの店がなくなってるとか、数年前は毎日ここに来てたのにとか、何を見てもひたすら「エモいエモい」と言い続けた。

大学時代の思い出と言えば勉強そっちのけでのめり込んでいたサークル一択だ。誇張でなく 1週間のうち5 日も 6日も集まっては顔を突き合わせてぐるぐると話し合ったり、馬鹿みたいに飲んで終電を逃したり、付き合ったり別れたり、いわゆる青春的要素がぎっしりと濃縮されていて、我ながら恵まれた充実した 4年間だった。
その日々が余りにも満たされていて、だからこそここへ来るたびに平衡感覚が失われるような、覚束ないような気持ちになる。今も鮮明に思い出せる学生時代の記憶と、それがもう過去のことで、もうここは自分の居場所ではないのだということがうまくかみ合わずに感覚を狂わせる。

これから先の人生で、あの頃のような密度の日が訪れることはあるのだろうか。
熱意だけを燃料にして、みんなで 1つのものに向かって突き進んでいたあの気持ちを、もう一度味わうことはできるのだろうか。
それともあれは、子どもである間だけ許された時間だったのか。もしそうなら、私はこの場所を訪れるたびに、思い出の眩しさに目を顰めながら「エモい」と言うことしかできないのだろうか。

「一人暮らしここでしなよ」
「絶対住みやすいよね」
 横で後輩たちが話している。若い人が多くて、活気があって治安もよくて便利で、そりゃあ間違いなく暮らしやすいだろう。でも、私は住めない。こんな、懐かしさに呑みこまれて前が見えなくなってしまいそうな街に、少なくとも今は。

口ではエモいを連発しながら、本当はこんなこと言いたくないのだ。過去の栄光に縋るような真似はしたくない。自分のピークがもう終わってしまっているなんて思いたくない。
今の方がいいと、これから先の未来の方がもっとよくなると、そう確信できるときまで、まだこの場所には帰れない。

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