2016年1月29日金曜日

25歳の葬祭

25歳になったら死のうと思っていた。

私は新卒で入った金融系の会社に就職し、その仕事はやりたいこととはかすりもしない世界だった。残業が多くないことが救いで、だから入社当初は空いた時間に何か書いたり投稿したりしようと考えていた。山崎ナオコーラだって会社員やりながら小説書いてたんだし、社会人経験があった方が小説のネタになるし、これはこれで悪くないかもしれない。

でも結局、私はほとんど何も書かなかった。パソコンも開かなかったし、本さえ碌に読まなかった。会社では何も考えず黙々と仕事をし、休日はいつまでも布団の上に寝転んでスマホを弄っていた。日々はティッシュのように使い捨てられ、無価値だった。
 そうやって楽で楽しいことにだけ身を委ねているはずなのに、いつもどこか据わりの悪さが消えなかった。仕事をしていても食事をしていても誰かと会っているときも、こんなことしてていいの? ほかにやることがあるんじゃないの? という声が亡霊のように付き纏って、心が安まることがほとんどなかった。逃げてばかりの怠惰な自分に対する罪悪感が絶え間なく積もり続け、息苦しかった。
この先一生こんな思いを抱えながら生きるのだろうか。あと20年も30年も、このまま、この場所で?
ぞっとした。目眩がした。それは、あまりにも簡単に手の届く絶望だった。
――25歳まで頑張ろう。それで人生が変えられなかった死のう。
その考えが浮かんだとき、ものすごく気が楽になったのを覚えている。
そうだ。駄目だったら全部捨てて逃げてもいいことにしよう。
私は疲れていたのだと思う。もう綿矢りさにも朝井リョウにもなれない自分と向き合い続けることに。

しかしどうやって死ぬかなあ。飛び降りも首吊りも痛そうだし、手首切るのは成功率低いらしいし怖い。私は小説のちょっと暴力的な描写を読んで貧血になるくらいグロ耐性がない。うーん困った。死ぬのも簡単じゃないな。
少し頭が冷えた。
よし。死ななくてもいい道を考えよう。物書きになれなかったら、出版社や編集職に転職して、せめてそっちの業界に潜り込もう。
それに、25まではあと2年ある。小説を2本でも3本でも書いてとにかく投稿しよう。

結果から言えば、小説は1作も完成しなかった。私は相も変わらず、スマホと布団を一番の相棒にぐだぐだ過ごしていた。そうして24に差し掛かるころようやくはっとした。やばい、あと1年しかない。
自分の意志の弱さを痛感した私は、形から入ることにした。誘惑を遠ざけるため、実家を出ることにしたのだ。新しい住処はテレビも話し相手もいない1K。賞を取りたいとかいう大きくて漠然とした目標も一度取り下げ、もっと具体的なことから段階を踏んでいくことにした。
本を年50冊読むこと。ブログを月2回書くこと。それをSNSで公開すること。手近なところからやってみたら、芋づる式にアイデアが浮かぶようになった。
ブログをまとめてフリーペーパーを作る。文学フリマに出店する。月一でネットプリントを発行する。あれこれやっているうちに知り合いが増えたり、長らく会っていなかった知人から連絡が来たりとなんとなく人脈も広がって、いい流れが来ているのを身を持って体感した。
そして夏。勢いに乗って私はついに、フリーライターの肩書で名刺を作った。資格が要るわけでもなし、こんなん名乗ったもん勝ちだ。

出来立ての名刺を手にほくほくしながら、でも浮かれた気持ちは長く続かなかった。
ライターを自称したところで、私の日常は変わらない。うだつの上がらぬ仕事に時間の大半を割かれる日々だ。短くたって1日8時間の週5日。やりがいを見いだせないことにそんなに時間を割いていていいのだろうか?
折しも部内移動があり、私は社内のコールセンターのオペレーターをしていた。それは外部電話を受けては担当部署に繋ぐという、工場のライン並みに機械的で没個性的な業務だった。誰かがやらねばならない業務があるのは知っている。でも、それを自分が引き受けなければならないことに私はそろそろ我慢ならなくなっていた。「仕事なんだからつまらなくて当たり前」「誰かがやらなきゃいけないんだから」という言葉に、いい私は加減うんざりしていた。
それがどれだけ我儘な言い分だろうとも、私は自分のやりたいことにしか時間を割きたくない。これ以上今の会社に居続けるのは無理だ。
それが結論ならもう迷うことはない。私は転職することにした。リミットはもちろん、25歳だ。

けれど、編集職一本に絞った転職活動は芳しくなかった。そもそも募集が圧倒的に少ない。しかもそのほとんどが経験者採用だ。私はとにかく未経験で応募できる会社に片っ端から履歴書を送ったが、悉く不採用で面接にさえ進むことができなかった。
11月の精神状態は最悪だった。辞めると決めた会社はもう全部が嫌で、でも他はどこも自分を必要としてくれなくて、そしたらここにずっといるしかないのかと思ったら、23歳の時に感じたのよりもっと強い無力感に苛まれた。
ずっとこうやってくしかないのかな。何にもなれないまま25歳になったら、最初のルール通り死のう。
――いや、死にたくない。
 打てば響くように強くそう思った。だって、まだやりたいことも書きたいことも作りたいものもいっぱいあるのに、まだ死ねない。
 25歳になったら死ななきゃ。でも死にたくない。どうしよう。
 自分で勝手に決めたルールに自分で追い詰められながら、もがきながら転職活動を続けた。

「わかりました。それじゃあ、ぜひうちの会社に入っていただきたいのですが」
 最終面接の最後に、社長が言った。1社だけ、選考が進んでいたネット漫画の会社だった。私は呆けたようになりながら、よろしくお願いしますと頭を下げた。こうして私は転職することになった。
 1月の末、私は25歳になる。2月1日から編集者として働く。人生って、なんだかんだうまくできている。
内定が出たとき、喜びや達成感ももちろんあったけれど、それよりも私の心を占めていたのは安堵だった。
 よかった、これで約束を破らずに済む。
 そうか。私はずっと、自分を許す方法を探してきたのだ。
 
これから先どうなるかまだわからない。仕事はたぶんこれまでよりずっと大変になるし、給料だって下がる。新しい会社で望んでいたようなことができるとも限らない。でも不安はほとんどない。なぜならまた私は性懲りもなく、本当につらくて苦しかったら死のうと思っているからだ。平気へーき、いざとなったら死ぬから。あとはできるところまでやるだけ。
人が時に、あっけないほど簡単に死んでしまうことを知っている。でもそれと同じくらいの確かさで、簡単には死ねないことも知っている。
苦しかったら死のう、と思うたびに、私の中から「死にたくない!」という声がする。だって、まだやりたいことが山ほどあるから。
この声が聞こえる限り大丈夫。
私の葬祭の日はまだまだ来ない。


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