夕焼け、パンケーキ、カプチーノ、舶来の雑貨、凝ったペンダントの下がった胸元、かわいいお皿の家庭的な料理、お友達からの誕生日プレゼント。ぼかしてコントラストを強くしてインスタグラムで加工された素敵な写真が、巷のSNSを開けば洪水のように溢れかえっている。そういうものを見る度に、いらいらするような釈然としないような気持ちにさせられる。
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綺麗なものを見たら写真に撮ってインスタグラムで加工してフェイスブックにアップする、そんなインスタントなインプットとアウトプットで良いのかといつも思う。
人には考える頭があるのだから、既製のツールに頼らずに自分の感性でエンターテイメントにすればよいのに、と。
綺麗なものを綺麗だと言うことは誰にでもできる。感銘を受けた言葉をリツイートするのは指先を少し動かせば済む。だけどそれは工場の流れ作業と同じだ。右から左へと渡しているだけで、そこに個性は生まれない。
自分らしさを手に入れたくて必死になってする行為が、あべこべにその人の個性を奪う。代替可能なその他大勢の一人にしてしまう。
自分を認めてもらいたいなら努力するしかない。なのに、みんな楽で簡単な方へと流れてその努力を放棄しているように見えて、それが私を腹立たしい気持ちにさせる。
そんなに簡単に『何か』になれるわけないだろ!
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綺麗で素敵で、だけどどこかで見たことのある写真たちを見るたびに思う。
そんなもので私の心は動かされない。
君が自分で見つけたもので、君を認めさせてみせろよ、と。
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