2016年9月24日土曜日

23時に待ち合わせ

す23時に東京駅で待ち合わせをしたことがある。
相手は年上の男性で、その人とはしばらく前から付き合っているようないないような、あいまいな関係が続いていた。
駅の近くのビルで遅い食事をしてから、私たちは行幸通りを抜け、皇居の周りを歩いた。
完璧に整備された深夜の丸の内は美しく、そして恐ろしく静かだった。空間を切り取って、そこをそっくりそのまま無音にしてしまったかのようだった。時々「本当に静か」と言葉に出して確かめなければ、世界から音がなくなったのではないかと錯覚するほど。

時刻は午前2時になろうとしていた。当然終電は終わっている。タクシーを捕まえ、乗り込みながら連れの男性が「近くにホテルはありますか」と訊いた。運転手はこちらを見もせずに「ラブホテル?」と聞き返した。それまでその男性とそういう行為をしたことはないし、そういう雰囲気になったこともなかったが、そりゃあこんな時間に男女がホテルを探しているのだから、誰にだってそう見えるだろう。そのことが、お腹がいたくなるほど私をナーバスにさせた。
いや、ラブホテルじゃないほうがいいんですけど、と彼は気まずそうに言い、結局私たちは5分ほどいったところにあるビジネスホテルに下ろされた。ラブホテルもビジネスホテルもほとんど入ったことがないので比較はできなかったが、小奇麗でそんなに安くないところのようだった。
ツインベッドルームの部屋に入ったとき、どうしよう、どうしようとぐるぐる回ると進まない思考で頭がいっぱいで、私は口もきけないくらいになっていた。
私はこの人がなにを望んでいるかわかっているし、この人は私のことが好きなのだろうし、私もこの人のことが嫌いなわけではないし、処女でもないし、だけどもう一歩もその人に近づきたくはなかった。その人の欲望とか、感情を見たくないし、触れたくなかった。今からでも、歩いてでも家に帰りたかった。

いつからこうなったのかわからない。私は人から好意を向けられること、その感情が相手に触れたいという欲望に繋がっていくこと、他人に肌に触れられることが耐え難いほど苦痛になっていた。
なぜここに来てしまったんだろう、と思った。23時に待ち合わせしたら、帰れなくなることなんてわかりきっていたのに。この人が期待していることも、自分がそれに応えられないことも知っていたのに。
その人を傷つけたり、恥をかかせたり嫌な気持ちにさせたくなんかなかったけれど、私はもういっぱいいっぱいで、これ以上なにも見たくなくて、「眠いですね、眠い眠い」とわざとらしく繰り返して、布団にもぐりこんでその人に背を向けた。目を閉じたけれど体は緊張で強張っていた。電気を消してしばらくして、その人がこっちのベッドにうつってきて、私の名前を呼んだような気がするけれど、私は答えず、微動だにせず、ただ早く眠ってしまいたかった。
何時間かして朝が来て、窓の外が明るくなっているのを見たとき心底ほっとした。2人で起き出して、その人がホテルの薄っぺらい寝間着から昨日来ていた服に着替えたときもっとほっとして、その人を好きな気持ちが少し戻ってきたのを感じた。
私たちは何事もなくホテルをチェックアウトし、セルフサービスのカフェで朝食を取り、東京駅で別れた。

1人中央線に揺られながら、寝不足のぼんやりした頭の中で、タクシーの運転手が言った「ラブホテル?」という言葉が頭の中で何度も何度も繰り返された。
好きあっている大人の男女はセックスをする、というシステムが私には理解できない。好きだから触りたいという感情のメカニズムがわからない。私は誰にも触りたくないし、触られたくない。
電車の中で携帯電話で、「ノンセクシャル」という言葉を検索した。その単語を調べたのは初めてではなかった。掲示板とか知恵袋がいくつも出てきて、上から1つずつ選んで読んでいくうちに私は泣いていた。私はまともではないのかもしれない、と思った。

いつからこうなってしまったんだろう。少なくとも最初からではなかった。抱きしめられたり、手を繋いだりすることに幸福を覚えていたときも確かにあった。何があったわけでもないのに、そう思える気持ちは年々目減りしていって、今では母親に腕を触られることさえひどく不快だ。その上相手が自分を好きで触れてくるなんて、もう本当に耐えられない。
こんな人間が、誰かと一緒に生きていけるんだろうか。誰かと付き合ったり、ましてや結婚したりすることなんてできるんだろうか。その夜、朝食代以外のすべてはその人が払ってくれていて、私は自分が彼にひどく損をさせてしまったような気がしていた。そんなことを思うのも嫌だった。恐ろしく傲慢だけれど、もう誰も私のことを好きにならないでほしいと何度も何度も思った。

窓の外を流れる景色を眺めながら、一生1人で生きていくことについて考えた。
孤独が、あの真夜中の東京駅のような静寂であったなら、それも可能かもしれない、と思った。

*

この記事を書いたのは3年くらい前なのですが、これを世に出してしまうと私の人生の一つの可能性的なものが決定的に終わってしまう気がして、ずっと公開せず手元に置いていました。
しかし、3年経った今でもこのノンセク的状況は全然変わっておらず、まずこの事実についてオープンにしないと何も変わらないのでは? と考え、公開することにしました。

別にノンセクAセク専門家ではないので悩みを聞いて解決したりはできませんし、ノンセクの認知度を上げようとかセクシャルマイノリティのために! みたいなゴリゴリした活動家的なことには関心がなく、普通にしていれば不都合もないので普通に生活したいというのが本音です。
が、同じようなことを感じていて、この手のことを周囲に説明するのも疲れた、面倒くさい、みたいな人と会って喋って、あわよくば友達になれたらいいなと思っています。

もし話してみたい、気になる、という方がおりましたら声をかけてください。
コメントを下さっても結構ですが、あまり見ないのでツイッターの方が確実です⇒@erio0129

なんとなくずっと寂しくて、わかってくれる人が1人でもいてくれればと願う私のようなあなたがどこかにいることを信じて。

1 件のコメント:

  1. エリオさん
    こんばんは。はなといいます。

    あなたの文章を読んで、私も近いのかもしれないと感じました。
    「ノンセクシャル」でいろいろ検索してここへたどり着きました。

    厳密にエリオさんと同じか分かりませんが、恋愛と性のことを考えると頭に靄がかかったようになってしまいます。

    もしよければいろいろお話したいです。

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