中高の頃私は剣道部で、しかもずっと幽霊部員だった。真面目に出ていたのは最初の一年だけで、後の数年は部活に参加するのは年に数回程度という状態をずっと続けていた。
最初に出なくなったきっかけがなんだったかはもう思い出せない。特別な何かが起きたわけではなくて、単に面倒臭くなって休む日が続いてそのままずるずると、という感じだったと思う。 練習に出なければ当然うまくならない。むしろ下手になる。その上年次が進めば後輩が増え、彼らは練習を重ねてどんどん強くなっていく。
後輩より弱い先輩なんてありえない。下手なのを見られたくない。知られたくない。駄目な先輩って思われたらもう終わりだ。そう思っていた。そういうつまらないプライドばかりが勝って出られなかった。そのブランクが長くなればなるほど、もっともっと出づらくなった。その頃は部活に出る、ということがもうほとんど恐怖だった。
同学年の部員たちにはクラスや廊下で会うたびに「部活出ろよ」と言われるので、顔を合わせるのも怖かった。
同学年の部員たちにはクラスや廊下で会うたびに「部活出ろよ」と言われるので、顔を合わせるのも怖かった。
顧問に呼び出されて、「そんなにずっと休んでるなら辞めた方がいいんじゃない」と言われたこともある。そうですね、と私は素直に頷いた。
でも辞めなかった。
一年の時から入部していたからというのもあったし、どこかの部活に所属していたいというのもあった。部活のメンバーが、それでも普段は面白くて仲良くしてくれて、居心地が良かったというのもある。部活を続ける意味がないと面と向かって言われても、その通りだと思っても、でも手放すことができなかった。
それが本当に身勝手なことだったと、今ならわかる。同期にどれだけ迷惑をかけ、苛立たせたか知れない。それでもみんな、最後まで鬱陶しいほど面倒見が良くて、優しかった。部活に出ない私に、それでも座る場所をずっと空けていてくれた。彼女たちがもっと冷淡で無関心だったら、私だってきっともっとあっさり辞めていた。
一年の時から入部していたからというのもあったし、どこかの部活に所属していたいというのもあった。部活のメンバーが、それでも普段は面白くて仲良くしてくれて、居心地が良かったというのもある。部活を続ける意味がないと面と向かって言われても、その通りだと思っても、でも手放すことができなかった。
それが本当に身勝手なことだったと、今ならわかる。同期にどれだけ迷惑をかけ、苛立たせたか知れない。それでもみんな、最後まで鬱陶しいほど面倒見が良くて、優しかった。部活に出ない私に、それでも座る場所をずっと空けていてくれた。彼女たちがもっと冷淡で無関心だったら、私だってきっともっとあっさり辞めていた。
結局、私は劇的な盛り返しを見せることもなく、幽霊部員のまま卒業を迎えた。私の存在も碌に知らない後輩に送られる送別会の居心地の悪さはちょっと言い表せない。それでも、退部ではなく引退した。図々しくも同期達と一緒に。
そんなこんなで大学に入学し、サークルで初めてちゃんと後輩というものができた時にはどう接したらいいかわからなかった。ちゃんと先輩として見えているかばかり気になったし、こいつら全員私のことを馬鹿にしてるんじゃないかといつも疑っていた。高校の頃から、私には後輩というものが怪物に見えていたのだ。
でも、おっかなびっくり話をしているうちに、彼らは意外と素直な生き物だと言うことに気がついた。何か質問してきたり、知っていることを教えると素直に納得したり、ちょっとしたことで関心してくれたりするのが面白かった。
私は特別優秀なわけでも、人徳があるわけでもない。私よりずっと頭が良くて話が上手で愛想のいい子はいくらでもいた。私はただ、彼らよりただ数年早く生まれ、年増な分だけ知識と経験が多いだけだ。そんな偶然でしかない理由で先輩と呼んでくれるのが申し訳なくて嬉しくて、そしてかわいくて、だから私はせめてこいつらに、私の知っていることは全部教えてやりたいし、うまくいくようにいくらでも手を貸しやりたいと思った。
それは高校の時には逃げ回っていて手に入れられなかったものを取り返すための戦いだった。それにもしかしたら、いつかの罪滅ぼしの面もあったかもしれない。
そうやって、内面ではすごく緊張しながら先輩や後輩と接していたわけだけれど、彼らと仲良くなればなるほどサークルも居心地よく、やりやすくなって、楽しくなっていった。
こんなに単純なことだったのか、と思った。
できることをして、助けてもらって、もらった分を誰かに返して、それを実直に繰り返すだけのことだったのだ。それだけで、自分自身がずっと生きやすくなるのだと、遠回りしながらやっと知った。
それは高校の時には逃げ回っていて手に入れられなかったものを取り返すための戦いだった。それにもしかしたら、いつかの罪滅ぼしの面もあったかもしれない。
そうやって、内面ではすごく緊張しながら先輩や後輩と接していたわけだけれど、彼らと仲良くなればなるほどサークルも居心地よく、やりやすくなって、楽しくなっていった。
こんなに単純なことだったのか、と思った。
できることをして、助けてもらって、もらった分を誰かに返して、それを実直に繰り返すだけのことだったのだ。それだけで、自分自身がずっと生きやすくなるのだと、遠回りしながらやっと知った。
今、会社では後輩が二人いる。質問していいですか、と言われたら忙しくても必ず時間を作る。私も、困ったら手を貸してもらう。雑談もするし、たまに飲みに行ったりもする。
サークルの一部の後輩とは未だに時々約束をして遊びに行く。彼女達とは、もうほとんど友達だ。
高校の部活のメンバーとは滅多に連絡は取らないけれど年に一度くらい飲み会があって、会うとみんなマシンガンのように喋り倒すので、いつも全然時間が足りない。
高校の頃を思い浮かべれば、ちゃんと部活に出ていても仲間と折り合いが悪くて辞めた人もいる。仲が良くたって卒業したら連絡を取らなくなる人だって大勢いる。集まりがあったって、呼ばれなかったり顔を合わせられなくて出席できない人だっているだろう。
そういう中で、私も充分すぎるほどやらかしていて、それでも今も席を並べて話したり笑ったりできる。同じ時間を共有して、ダサい所も失敗も知られている相手と、今のことや未来のことについて話すことができる。できすぎなくらい、私は最強にラッキーだ。でもそのラッキーは偶然の産物ではない。周りの人が与えてくれたものだ。私の失敗を、迷惑を、我儘を、許して、許し合ってきた結果だ。
これからも、できることをしようと思う。余裕がなくて当たってしまったり、思ったほど相手に伝わらなかったりすることもあるだろうけれど、でもできる限り誠実でありたいし、私のもらったものを別の誰かにあげたいと思う。そうしてその誰かが、新しいラッキーガールもしくはラッキーボーイになってくれたら本当に嬉しいと思う。
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